高校の国語の授業で定番の『山月記』。大人にとっては深く心に響く内容でも、高校生にとってはやや難解で面白いとは言いがたい作品かもしれません。
埼玉県のある高校の先生は『山月記』を要約させたり感想文を書かせたりするのではなく、その内容を短い動画にしてみよう、という授業を行いました。すると生徒たちは非常に熱心に『山月記』を読み込み、それを動画で表現するという学びに熱心に取り組みました。
私もその動画を見せてもらいましたが、実に核心を突いていました。動画で表現するというアウトプットの手段が与えられたら、ここまで深く『山月記』を読み込むのかと驚きました。
我々の世代は学びのアウトプットはペーパーテストしかないと思ってきました。しかし、動画で表現するといったアウトプットの幅が広がった瞬間、学びのプロセスも質も大きく変容する。そのことを大人はキモに銘じて、教育課程や授業、入試のあり方などをゼロベースで検討し直さなければならないと思っています。
「良きデマンド」を育てていくことが重要
デマンドサイド重視といっても、子供たちのデマンドだけに任せていればいいわけではありません。たとえば日本における15歳の女性の数学的・科学的リテラシーはOECDの中でもトップ、義務教育を終了した段階では先進国の中で最も理数ができる女性の集団です。
ところが高校で普通科の理系を選ぶ女性は同世代のわずか16%、さらに大学で理・工・農系のサイエンス系学部に進学する女性は同世代の5%にまで激減します。これは明らかに「女の子は文系」とか、「機械工学は女の子らしくない」といった社会のバイアスがはたらいていた結果です。こうしたバイアスは取り除いていかなくてはなりません。
また、「基礎学力」という言葉の概念や意味も変えていく必要があると思っています。これまでは皆と同じことができるようになるための基礎学力でした。
他方、これからは他者との差異や違いに意味や価値のある時代。その中で求められるのは、意見や文化、背景などが異なる他者と対話したり協働したりして共生する力です。したがって、基礎学力とは多様性のなかで対話や協働を重ねるための「共生の作法」だと捉え直す必要があると思っています。
一人ひとりの特性や関心を踏まえた個別性の高い学びと、共生の作法としての基礎学力とをどのように折り合わせて一人ひとりの学びを形作っていくか。そこが教育の難しさであり、面白さでもあると思っています。
「良きデマンド」を育てていくことがこれからの教育の眼目だと思います。それが子供たちにとって、結果的には自分の人生のオーナーシップを取ることにつながり、100年時代を生き抜く力となるのではないでしょうか。
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