そして6浪目で志望していた大学に入れた彼は、「回り道をしてきましたが、無駄ではなかったです」と晴れ晴れとした表情で語ってくれました。
交通事故が彼の意識をどう変えたのか? 6年にも及ぶ浪人生活を、どう前向きに捉えているのか? 彼の壮絶な人生に迫ります。
敦司さんは1998年に、岩手県に生まれました。父親は県庁職員で、母親は栄養士でした。彼は幼少期の家庭環境について、家族仲が悪く「複雑であまりよくなかった」と振り返ります。
家庭環境は敦司さんの人格形成にも影響を及ぼしたようで、小学校高学年に上がっていくに連れて、大人の顔色をうかがう内向的な性格になっていったそうです。
勉強面では、理数系が苦手で、総合的な成績は平均より下でした。公立小学校から同じく公立の中学校に上がっても、成績の大きな変動はありませんでしたが、そんな彼にも人一倍得意で、好きだったことがありました。
「絵を描くのが好きだったんです。小学3年生のときに図画工作で書いたネズミの絵が先生に評価されて、『芸術分野の才能がある』と言ってもらったんです。それから絵画教室に通い始め、中学に入ってからは本格的に芸術の道に進もうと思いました」
敦司さんは自身の興味と才能を活かすために、岩手県の中で芸術科があった岩手県立不来方高校を目指しました。しかし学力が合格できるレベルに達しなかったため、隣町の公立高校に進学します。入学してしばらくしてから、勉強に対するモチベーションが一切なくなってしまい、抜け殻になってしまったそうです。
成績最下位を経験、高校で不登校に
「定期テストではずっと適当に答えを書いて提出していました。受験勉強はしていたので学校に入ったときの成績は真ん中より上だったのですが、しだいに順位を下げて、500人いた学年で最下位か、下から2番目くらいの成績になってしまいました。2学期に入ると、精神的に荒れてしまって、不登校になってしまいました」
幸い、高校2年生になるころには、ある程度精神状態も回復して学校に行くようになりました。しかし、ここでアクシデントが起こります。
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