「こども食堂から一線を引く」 《こども食堂》の名付け親が決意した背景 ボランティアでできる支援には限界がある

「こども食堂」が全国で1万カ所を超えたという。地域のボランティアなどが運営する、子どもが無料あるいは低額で食事ができる場所だ。
著名な俳優が「こども食堂」を訪ね、子どもたちに促されて一緒に食事を摂るACジャパンの広告は、テレビだけでなく、電車の中の広告などでも目にする。それほど「こども食堂」は社会に定着しつつあるのだ。
そんな中、「こども食堂」の名付け親で、13年前に東京都大田区で、「気まぐれ八百屋だんだん」の店主として「だんだん こども食堂」を始めた近藤博子さん(65歳)は、この春「『こども食堂』の大きな流れからは、一線を引く」とfacebookに投稿した。
近藤さんはこれまで機会をとらえて、子どもたちの窮状を社会に伝えてきた。近藤さんは、2023年に第57回吉川英治文化賞を受賞。2024年9月には、首相就任直前の石破茂氏が、「だんだん こども食堂」を訪れ、レクチャーを受けている。なぜ一線を引くことを決意したのだろうか、近藤さんに話を聞いた。
こども食堂の認知は広がる一方で…
――「こども食堂」から一線を引く決意をされたのは、なぜなのでしょうか。
「こども食堂は子どもの貧困解消に役立つ、良いことだ」というイメージが広がりすぎています。企業も、こども食堂に寄付をすることで、子どもの貧困対策に貢献しているというイメージが生まれています。
でも、月に1度や2度、あるいは週に1度、食事を提供しても、おコメを2キロ、3キロ渡しても、子どもの貧困は何も変わりません。これまでこども食堂を続けるなかで、子どもの状況はますます苦しくなっている現状を目の当たりにしました。
子どもの貧困は、国や自治体が、親の就労問題や、子どもの教育問題、住宅問題などに真剣に取り組まなければ解決しません。
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