東大卒などの偏差値エリートは、なぜ知識を増やすほど愚かに見えるのか!古代中国の思想家が説く「バカの壁」に陥る人、乗り越える人!

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勉強する会社員
「不尚賢」――、なぜ老子は知識や学問を積んだ賢者を否定するのか(写真:mapo/PIXTA)
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東大卒など偏差値エリートの人は、知識を増やすほど愚かに見える——。

そんな話があるわけではありません。でも、この時代にこそ、そんな逆説を真面目に考えてみる価値があるのではないでしょうか。

偏差値エリートとバカになる勇気

学歴、偏差値、資格。これらは知の勲章として長らく信仰されてきました。東大卒、弁護士、MBA……、社会に出てからも「どれだけ知識があるか」「どれだけ資格をもっているか」で人は評価されます。そして、評価の高い人の多くが、その「知識ゲーム」に勝ち抜いてきた自負を持っています。

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しかし、そのゲームの“ルール”がそもそも正しかったのか、考えたことはあるでしょうか。

「でも、何が悪いんですか?」

そう思う人も多いでしょう。ある若手社員が言っていました。

「自分は努力して勉強して、いい大学に入って、いまの会社に就職した。そのことを否定されると、全部が崩れる気がします」

その感覚はよくわかります。努力を重ねて積み上げてきた知識とキャリア。それを「知識を増やすほどバカになる」と言われたら、抵抗を感じるのは当然です。

でも、古代中国の思想家・老子は、そんな私たちにこう問いかけます。

大成若欠、大盈若沖。
(大いなる完成は、欠けているように見え、満たされたものは、まるで空のようだ)
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