「職場に行くときに、車で交通事故を起こして廃車にしてしまったんです。雪道でスリップして4トントラックに突っ込んで、しばらく鞭打ちになりました。直前でハンドルを切ったから助かったんですが、下手をすれば死んでいました。
それまでの自分は、40歳まで仕事をしてそこから大学に行くのも悪くないと長期スパンで考えるようになっていたんですが、交通事故にあったことがきっかけで、いつ人生が終わってもおかしくないと思えました。だから、何としても若いうちに大学に入らないといけないと思ったんです」
事故にあって危機感が芽生えた彼は、そこから焦りが生まれ、勉強に対するエネルギーに変わったと言います。
それまで続けていた養鶏場の仕事を10月で退職し、11月まで日雇いの仕事で受験費用を稼ぎきった彼は、12月から志望校を國學院大學一本に絞り、平均10時間の勉強を重ねた結果、見事に合格しました。
「正しい方向に努力するのが大事なんだなと強く実感した6年間でした。いつだって本番の結果がいちばん大事だと思っていたのですが、それ以上に、それまでの準備で結果は9割決まってしまうんだと気づけたことが、人生において大きな財産となりました」
大学教授を目指し、学びを続ける人生へ
こうして激動の浪人生活を振り返ってくれた敦司さん。彼に浪人してよかったことを聞いたところ、「メンタルが強くなった」と答えてくれました。また、頑張れた理由に関しては、「ゴールが定まっていたから」と返してくれました。
「浪人を決断した時点で、自分は社会のレールから外れてしまったと思いました。でも、この経験のおかげで、人生で初めて成功体験を得られたんです。やったらやっただけの結果が出るんだと実感できて自信を持てるようになりましたし、普通の人生から離れたことで変なプライドもなくなり、ちょっとやそっとのことで動じなくなりました」
現在、敦司さんは國學院大學文学部日本文学科の2年生。今、彼は「本当に自分が心の底からやりたいと思える学問が見つかった」と笑って話します。
「今、民俗学の勉強がとても面白いんです。自分の趣味の釣りや、最初に石巻専修大学に入った経験がすべてつながったと思えるようになりました。それは、民俗学が人と自然について学ぶ学問だからなんです。回り道をしてきた人生ですが、無駄ではなかったと思えるようになってよかったです」
「将来は大学教授になりたい」と話す敦司さん。たくさんの挫折を経験してきた彼ならきっと、大勢の学生の目線に立ったやさしい先生になるだろうと思いました。
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