明智光秀が信長謀殺の「本能寺の変」に至る裏事情 信長の配下は出払い家康も討てる千載一遇の好機

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光秀の安土における家康接待の解任は5月14日で、本能寺の変は6月2日。約2週間あります。光秀に中国戦線への出陣命令が正式に出たのが17日です。家康の接待役を命じられていたのですから、おそらく光秀は信長・家康の行程を把握していたと思われます。一方で、中国への出陣はイレギュラーでした。

ただ、この時点で光秀は公に軍勢を動かせるようになったのです。

織田軍団の各方面軍の動きは、羽柴秀吉が備中で毛利軍と交戦中、柴田勝家は北陸で上杉軍と交戦中、滝川一益は武田滅亡後の甲斐に駐在、丹羽長秀は信長の三男の織田信孝とともに四国攻めの準備で住吉に出陣中といった具合で、信長と嫡男・信忠そして堺に滞在中の家康は、さしたる戦力も持たない無防備な状態でした。

そして本能寺の変へ

光秀は、信長にとって最も信用できる部下で、信長を守る畿内の治安維持部隊の役目も担っています。信長と光秀に根深い確執があるなら、信長はこのような危険な状況をつくったでしょうか。

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もっとも、信長は冷酷なようで意外に人を信じやすく、浅井長政、松永久秀、荒木村重などに裏切られているので、光秀との確執や変化に気づかなかったのかもしれません。一方の光秀にしてみれば、降って湧いたような大チャンスでした。

なにせ3万あまりの軍勢を、信長に疑われることがないままに動かせるのです。5月27日、28日と光秀は愛宕山に参拝し、連歌会に出席しており、その際の落ち着きのない様子が記されています。おそらく、このとき光秀は自分の中で決断していたのでしょう。そして最終的には、このチャンスを掴もうとします。

6月1日、光秀は京に向けて進軍を開始しました。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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