「灘から4浪で立命館に進学」彼が陥った深い闇 どんな経験でも、すべて生きるうえで役に立つ

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「同級生の多くが受験をする空気だったので、自分も小学5年生のときに中学受験の予備校である希学園に通い始めました。毎日夜の11時まで塾で勉強して、それから帰宅して課題をやり、日付が変わってから寝て起きて小学校に行く。そうやって勉強していたら、灘中学校に合格できました。今思ったら、あの時が人生でいちばん勉強した日々でしたね

日本最高クラスの難易度を誇る超進学校、灘中学校・高等学校。ここでの生活を、彼はこう振り返ります。

「灘に入れて、通うことができてよかったなと思います。勉強してないように見えて、実はしている人が多い学校でした。医者や弁護士や社長、官僚の息子などが多いですし、私の同級生もそうした仕事に就いています。

私が入った医学部は働くのに国家資格を持っていればいいので、そこまで仕事に密接には関わってこないのですが、文学部や工学部など、ほかの学部に入る人は、将来仕事をするうえでさまざまな人とのつながりがあることはすごく大きいと思います。私は進学校やいい大学に行くメリットは、そうした人脈面が大きいと思います

周りに負けないよう頑張っていた

そんな日本最難関級の中学に入ってからも、リプトンの人さんは優秀な周囲に負けないようにしなければならないと奮闘していました。

「中学に入ってからも赤点はそんなに取っていません。真ん中からやや下の成績は取っていましたが、決して最下位近くではありませんでした」

なんとか下位3~4分の1くらいの成績で踏ん張っていたリプトンの人さん。「もともと勉強が好きではなかった」と語る一方で、かなり健闘していたようです。

しかし、のちに彼は学年順位を大きく落とすことになります。その要因となったのが、「ゲームセンターにはまったこと」だったと言います。

「私は自宅がある京都から、灘中学校・高等学校の最寄りの住吉まで2時間かけて通っていました。定期券があるので、途中下車がいくらでもできます。中3くらいになると、毎日大阪駅で降りてゲームセンターに寄る癖がついてしまいました。多いときには週8で通っていましたね(笑)。それで成績がワースト3位になってしまって、勉強へのやる気をなくしてしまったんです

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