習慣が悪いものになると中毒と呼ばれる
私は爪を噛む。世界でいちばんの悪癖ではないが、一度でいいから、短くなったギザギザの爪先を残念に思うことなく、マニキュアを塗ってみたい。この癖がはじまったのは、おそらく小学生の終わりごろ。それまでは親指を吸うのに忙しくて、手のほかの部分にはあまり関心がなかったのだと思う。
習慣の問題は、いいものであれ悪いものであれ、しばしば無意識のまま行われているという点だ。出勤する、携帯電話をチェックする、朝食を摂る。こうした日常的な行動の多くは――実際には約40%が――習慣化されている。自分たちの生活に明らかにいい影響、または悪い影響を与えているとわかったときにはじめて、私たちは習慣を意識しはじめる。自分ではどうすることもできなくなり、有害なものになってしまうと、習慣は中毒と呼ばれるようになる。
自己啓発の世界では、習慣(とくに喫煙、過食、運動)をコントロールする手助けをしてくれる、ブログや書籍や講座が大いににぎわいを見せている。しかし、何度も言われてきたアドバイスの多くは、時代遅れの証拠や事例証拠[訳注:逸話や風聞などの形態をとる形式的でない証拠]に基づいている。
昔からよく試されている禁煙法ひとつとっても、最近のきちんと管理された実験では、結果はまちまちだ。また、真実として再三吹聴されてきた「事実」もある。新しい習慣を身につけたり、古い習慣を捨てたりするには21日かかる、というのもそのひとつだ。この説に関するエビデンスは不明だし、きちんと調べれば、これがまったくのナンセンスであることは明白だ。
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