70年以上ひたすら石を集めた男の凄まじい人生 禁固刑に処されても、石があるからストレスなし

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奇石や珍石を得るために石亭は、平然と険しい山へ分け入り、危険な谷川にくだり、崖をよじのぼった。たとえば、こんな逸話もある。

金華山(現在の宮城県石巻市)へ船で向かう途中、船員から「山の金砂を持ち帰ると祟りがある」と禁じられていたのに、石亭は密かに懐に入れて持ち出そうとした。

ところが帰りは大荒れの天候。このため船はいったん引き返し、乗客の身体検査がおこなわれた。このとき石亭が砂を隠し持っていたことが露見。船乗りに激怒され、仕方なくいったん砂を元に戻した。

ところが、じつは隙を見て再び砂を懐中に入れて帰路についたのだった。コレクションを得るためには、神の祟りや命の危険すら恐れなかったことがわかる。

旅行では、事前に調べて名石を有する寺社をめぐったり、愛好家の屋敷で名石・珍石を見物したり、全国の同好の士と会って情報を交換したり、石を売り買いしたりした。とくに同じ趣味をもつ各地の仲間と語り合うのは、石亭にとって至福の時間だったろう。交流のある愛好家は300人に及んだといわれる。

また、「蟻の化石が摂津国有馬の愛宕山から見つかった」と聞くと、発作的に現地へ向かったように、石に関する新情報に接すると、居ても立ってもいられなくなり、発作的に旅立つこともあったようだ。

執筆した石の大図鑑から、石がブームに

こうして生涯に蒐集した奇石・珍石は、2000から3000にのぼった。そのうち100種をセレクトして30余人の絵師たちにその姿を描かせ、石の図鑑『百石図巻』を完成させている。

また、50歳の安永2年(1773)、石亭はそれまでの研究成果の集大成として『雲根志』を上梓した。集めた石を「霊異類、采用類、変化類、奇怪類、愛玩類」の5つに分類し、適宜、石の挿絵を加えつつ、自分の体験談や伝承を交え、各石の由来や性質・産地などの解説を加えた大著である。さらに56歳のときに後編、78歳で「三編」を追加し、28年かけて15冊の大著を完成させたのである。まさに石の大図鑑といえる。

この『雲根志』が生涯で唯一、石亭が一般に刊行した印刷物(書物)だったが、これにより一躍石亭の名が世に知れ渡った。そして本書が出版されると、石コレクターが急増、空前の石ブームが到来する。

石亭の屋敷には全国から同好の士が見学に訪れ、あるいは各地から奇石の寄贈が相次いだ。また、尾張藩主の一族から名石の送付を求められることもあった。

このように木内石亭は、好きが高じて時代のムーブメントをまき起こしたわけだ。

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