70年以上ひたすら石を集めた男の凄まじい人生 禁固刑に処されても、石があるからストレスなし

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27歳になった石亭は、京都で茶人の野本道玄に弟子入りして茶を学び、翌宝暦元年(1751)、本草学者の津島恒之進に師事した。

本草学というのは、薬になる動植物や鉱物の効能や形態などを研究する学問のこと。石亭が集める「石」もその研究対象だった。このように20代後半になると、石亭は単なる奇石・珍石のコレクターから次第に脱皮していった。

宝暦四年に津島が亡くなると、今度は江戸の田村元雄から本草学を学ぶようになる。田村は、平賀源内を初めとして多くの弟子をもち、盛んに物産会や陳列会を開いた。石亭は本草学の世界に入ることで、知識人たちとも交流するようになり、同時に物産会に自分のコレクションを出品してその名を知られるようになった。

ただ、家庭的には恵まれなかったようだ。先の随筆『四方の硯』の記述から、20歳の頃に石好きの妻がいたことがわかるが、子供ができずに養子を迎えたものの、わずか7歳で早世してしまう。石亭38歳のときであった。その後、死別か生別かは不明だが、最初の妻と別れて再婚するが、やはり子に恵まれず、嘉蔵を養子とした。

石のコレクターを集めて「奇石会」を主宰

こうした家庭状況がますます石亭をして石の蒐集に駆り立てたのか、やがて石のコレクターを集めて「奇石会」を主宰し、定期的に品評会を開くようになった。

会員はなんと数百人に及んだというが、同好の士の集まりゆえ、身分や年齢を超越した会であった。年齢も20代の若者から老人までと幅広く、大名、公家、武士、商人、農民、僧侶などあらゆる階層が加わっている。

なお、30代から50代にかけて石亭は、珍しい石や趣味仲間との交流を求めて30カ国(全国の半数)を旅して歩いた。分家の身に落ちたものの、働かずに旅行できるくらいの財産は、養父(祖父)の重実から与えられたのだろう。

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