70年以上ひたすら石を集めた男の凄まじい人生 禁固刑に処されても、石があるからストレスなし

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(写真:Graphs/PIXTA)
歴史研究が進んで従来のイメージを覆すような新説が明らかになってきました。日本史の教科書では語られることのない「歴史の裏側」を取り上げた、歴史研究家の河合敦さんの著書『日本史の裏側』より一部抜粋してお届けします。

11歳から石を集め始めた富家の息子

誰にでも収集癖がある。私もときおり、何かを無性に集めたくなるときがある。たとえば子供時代は切手を集め、その後はアンティークボトル(要は古い空き瓶)を買い集め、いまは海岸で宝貝を拾い集めている。

大抵は数年で熱が冷めてしまうが、長年収集し続ける熱烈なコレクター癖をもつ人々も多い。そこで70年以上ひたすら石だけを集めた木内石亭という人物をぜひ紹介したいと思う。もちろん石亭という号も、「石」にちなんで自らつけたものだ。

石亭は享保9年(1725)、近江国志賀郡坂本村(現在の滋賀県大津市)に拾井平左衛門の子として生まれ、幼い頃に木内家に養子へ入った。

養父は母・見せの実父である重実、石亭の祖父にあたる。重実が男児に恵まれなかったので、長女「見せ」の子を養子にしたというわけだ。木内家は名家で、近江国膳所(滋賀県大津市)藩主本多氏の郷代官を務める富家だった。

石亭が石に興味を抱くようになったのは、11歳の頃だという。他の子のように外を元気よく走り回るのではなく、石亭少年は石ばかり集めては、それを眺めたりいじったりして楽しむようになった。

どうして石ころなどに関心をもったのか定かではないが、もともと木内家には、兎石が家宝として所蔵されていた。足利義政が「海上月」の文字を刻んだ石である。それに、近くの琵琶湖畔には珍しい石が多く産出する。そうした環境にあったので、自然と親しむようになったのかもしれない。

18歳のとき、石亭は石にまつわる神秘体験をする。同年正月18日、夢を見た。市中を歩いていると、古道具店の軒先に糸で葡萄が吊るしてある。近寄って手にしたところ、なんとそれは、透き通った8つの青い石のかたまりだった。まるで本物の葡萄と見まがうばかりの色と形。喜んだ石亭が廉価でその石を買い取った瞬間、夢から覚めたのだった。

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