「オムライス」よく食べる人が知らない驚きの事実 実は海外由来、チキンライス伝来との関係も

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その1つ「赤茄子飯」は、サフランのかわりにトマト(赤茄子)で着色した「ペラオ」。

この「赤茄子飯」は“交際社會の献立に多く用ゐられ”ていたとあり、当時の西洋料理店においてトマトで着色したpilauが普及していたことがわかります。

『食道楽』には「ペラオチキン飯」というレシピも掲載されています。こちらのレシピではサフランが省略される一方、鶏肉を煮込む際にトマトソースが添加されています。

「ペラオチキン飯」には干しぶどうが入っていますが、この干しぶどうは、西アジアで生まれたサフラン炊き込みご飯(プロフ等)に特徴的な具材です。

チキンライスの日本化

イギリスと日本の食習慣において最も異なる点は、主食としてのご飯の位置づけです。明治30年代後半から東京に増えていった大衆的な洋食店では、次第にカツレツやフライをおかずにご飯を食べるようになっていきました。

また、明治時代後半から洋食レシピを掲載した家庭向け料理書の出版点数が多くなり、女子教育において洋食の調理実習が行われるようになると、家庭のご飯のおかずにもカツレツやフライなどが登場するようになります。

イギリスから渡来した「鶏肉のピラウpilau of fawl」は、明治初期には「チキンライス」として東京の西洋料理店に広まりましたが、洋食における主食がパンからご飯に変化すると、チキンライスにも変化がおこります。

わざわざチキンライスのためだけに出汁(stock)でご飯を炊くのは非効率的なので、毎日炊く白飯、あるいは冷や飯を利用し、鶏肉とトマト/トマトソースと混ぜ合わせるという、簡易版チキンライスが登場するのです。

明治40年の『洋食五百種』の「チツキン、ライス」はその最初期のレシピ。茹でた鶏をバターで炒め、冷やした飯と裏ごししたトマトを混ぜ合わせた簡易版チキンライスです。

大正10年『洋食のこしらへ方』の「チキン・ライス」、大正11年『和洋料理の仕方』の「チキン ライス」、『「カフヱー」のぞき : 手軽に出来る料理の仕方』の「チキン、ライス」、 『和洋料理の極意皆傳 下巻』の「トマト入りチキンライス」など、大正時代後半になると白飯とトマト/トマトソースを混ぜた簡易版チキンライスのレシピが次々と登場します。

そして大正13年以降、「鶏肉と冷や飯とトマトケチャップを使ったチキンライス」レシピが、当時人気のあった婦人雑誌に複数回登場するようになります。

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