「徳川家康」死地の信長救い、武名が轟いた舞台裏 後詰めを使う家康の戦略眼と徳川軍の精強さ

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この戦いにおいて、徳川家康と徳川軍の武名は天下に轟いたと言っていいでしょう。一方で浅井長政は渾身の奇襲に失敗し、実弟の浅井政之をはじめ主力の武将を討ち取られてしまいます。朝倉軍も武勇に優れた真柄兄弟を討ち取られるなど、大きな損害を出しました。

徳川家における姉川の合戦の重要性

徳川における姉川の合戦は特別なものです。ちなみに「姉川の合戦」と表現したのは徳川方の『三河物語』だけ。織田と浅井は「野村合戦」、朝倉は「三田村合戦」と呼んでいます。

姉川の合戦は家康の三大合戦のひとつと言われており、残りのふたつは「三方ヶ原の合戦」と「長篠の合戦」のふたつで、どちらも徳川家の宿敵とも言える武田氏との戦いです。つまり姉川の合戦は、のちに天下分け目の決戦と言われた「関ケ原の戦い」よりも重視されているのです。

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この理由は、それまで戦国大名として実力が知られていなかった徳川家康の武勇を一気に天下に知らしめたからだと思われます。この合戦で徳川軍は、ほぼ無傷で朝倉の大軍を粉砕し、浅井軍に決定的な打撃を与えました。援軍だったはずの徳川軍が主役となった姉川の合戦は、家康の戦歴に織田信長にとっての「桶狭間の戦い」と同じインパクトを刻んだのです。

『三河物語』では、この衝撃的な戦果をさらに劇的にするために、援軍にきた家康が、信長に遊軍に回るよう言われたことに激しく反発して先陣を要求し、織田軍が十三段に陣を構えたのを、浅井・朝倉が十一段まで破って、信長が絶体絶命になるなどの創作を加えました。

織田方が浅井・朝倉の奇襲で大混乱になったこと、その窮地で徳川軍が挽回する戦いをしたことは事実です。浅井長政の不運は、奇襲作戦に成功しながらも信長を仕留めきれなかったことにありますが、それは家康という戦上手がいたことが大きいでしょう。もし家康がいなければ、少なくともあそこまでの敗北はなかったように思います。

姉川の合戦は、浅井長政の野望を打ち破ると同時に、家康に大きな自信を植えつけました。そして家康の自信は、そのまま隣国の強敵・武田信玄に向けられることになるのです。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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