武田信玄という武将
織田信長や徳川家康を怯えさせたと言われる戦国最強の武将・武田信玄は、どんな人物だったのでしょうか。信玄は、甲斐の統一を果たした武田信虎の次男として生まれました。次男の信玄が嫡男となったのは、長男が7歳で亡くなったからです。
信玄は信濃の諏訪、上伊那を平定し、父の時代に敵対関係にあった北条・今川と三国同盟を結びます。信玄は信濃への本格的な侵攻を目論んでいたので、その背後に控える2つの強大な勢力との同盟を必要としていました。
三国同盟は、尾張への侵攻を計画していた今川義元にとっても重要であり、義元の積極的な北条氏への働きかけもあって成立したものです。信玄は、この同盟を得て本格的な信濃侵攻を開始します。その信玄の前に立ちはだかったのが信濃の猛将、村上義清でした。
1548年、信玄は村上義清との決戦に挑みますが、大敗を喫します。この時、宿老(古参の家臣)の甘利虎泰、板垣信方を討ち取られ、信玄自身も手傷を負いました。
その後、信濃の策士である真田幸隆が信玄の配下に加わったことで形勢は変わっていきます。幸隆の働きもあり、村上義清はついに信濃から越後に逃亡し、信玄は念願の信濃を手中に収めました。しかし、この動きが新たな強敵を生むことになります。
越後に逃亡した村上義清が頼ったのは長尾景虎、のちの上杉謙信です。景虎は、義清や信玄に追われた信濃の豪族たちの願いを聞き入れて信濃への出兵を行います。
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