この11浪目、彼は猛勉強の末、10年間到達できなかった”偏差値50の壁”を突破します。この年は残念ながら大学に合格できなかったものの、次の12浪目はさらなる飛躍を遂げ、偏差値を50後半にまで上げました。この年の彼は、11浪目よりもさらに素直になって、予備校の先生のやり方をすべて受け入れるようになったそうです。
「問題集の使い方1つにしても、『解けるまで何周もしなさい』と言われたので、何周も繰り返して問題と向き合いました。また、生活習慣に関しても改めました。朝9時に予備校に行き、15時に授業が終わった後、20時まで自習室に残って勉強しました。多いときには11時間勉強をするようになっていたのです」
そしてついにこの年、4大学を受験した彼は関西学院大学と立命館大学に合格しました。12年越しに、かつて自分が憧れた関関同立に合格することができたのです。
「関西学院大学に合格したとき、今までの人生が報われた気がして、いろんな気持ちがないまぜになりました。何かにこれだけ一生懸命打ち込めたことはありません。夢を叶える尊さと、つらさを学んだ12年間でした」
こうして彼は、30歳で関西学院大学人間福祉学部に進学します。
自分を肯定できるようになった
12年間の浪人生活を過ごした彼は、浪人してよかったことを「自分の人生を認められるようになったこと」と教えてくれました。
「今まで、僕は嫌なことから逃げ続けていました。でも、行きたい大学を目指して長い時間勉強したことで、つらいことがあっても『昔、あれだけ頑張ったからきっと大丈夫だ』と自分を肯定できるようになりました」
また、頑張れた理由については、「夢を持ち続けられたから」と答えてくださいました。
「僕は10代、20代を通して中途半端に生きてきたせいで、『夢破れた』と思う悔しい時期を経験しました。でも、ずっと関関同立に行きたいという気持ちが残っていたから、それが原動力になったんです」
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