しかし、進学先で彼はまた勉強を続ける決断に至りました。
「『もう浪人はダメ』と母親に言われていたので進学しましたが、努力できない自分に心の中でモヤモヤを抱えていました。大学にはそれなりに行って単位も取っていました。でも、代ゼミや進研学院のテキストを大阪の下宿先に持ってきてやっていたんです。関関同立に行くのを諦めきれない自分がいました」
自分自身でいろいろと参考書も買ってみたり、模試も受けたりしていたそうですが、偏差値は40台後半から伸びずにE判定。やる気になったり、心が折れたりを繰り返しつつ仮面浪人をしていたたぶちさんは、2年生になる頃にはほぼ大学にも行けなくなってしまいました。
「受験勉強をしながら、大学にも行かないといけない。自分の気持ちがわからなくなり、時には(大阪府の)茨木市から寝屋川市を意味もなく歩き回ることもありました。『自分は本当に関関同立に行きたいのか?』とずっと3年間、自問自答していました。でも、仮面浪人4年目にその生活も終わります。親に24単位(※卒業要件の1/5程度)しか取れていないのが知られて怒られ、退学して岡山に帰ることになったのです」
こうして大学4年生の8月に地元に戻った彼は、勉強を続けながらも、働かないと生きていけないため、9月から書店でパートタイム勤務をはじめました。仮面浪人の期間を合わせると、彼はもう6浪、24歳になっていました。
「この頃、自分は夢が破れた側の人間だと思っていました。毎年、春になって進学する学生を見るたびに、『自分はこの人たちみたいになれなかった』と気が滅入りました」
実家にいた彼を支えた2つの娯楽
そんな絶望の日々を送る彼を支えたのは、漫画『ドラゴン桜』とアイドル『モーニング娘。』の存在でした。
「当時、休日になると本を読んだり、音楽を聴いたりするのが救いでした。僕が岡山に帰ってから勉強を続けられたのは、そのとき読んでいた『ドラゴン桜』にモチベーションをもらったおかげです。作中に小学校の勉強から戻る重要性を説く場面があって、それを自分も思い切って真似してみようと思い、図書館でアルファベットや動詞、漢字などの本を読んで勉強していました」
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