つまり、まだ就職する際に大きな傷がつかない”1浪で明治大学”という経歴を確保したまま医学部を目指すことにしたのです。
その言葉通り、がっそーさんは進学先で授業を取りながら、日々授業の合間に図書室で問題集を解き続けました。しかし年々センター試験の点数は下がっていってしまったそうです。
「2浪目のセンター試験は650/900点、3浪目は617/900点とどんどん下がりました。もうどうしようもありません。授業の単位を取らなければいけないし、4~5浪目には研究室通いと就活も並行してしなければならなかったので、いったん受験を諦めざるをえませんでした。それでも、いつかもう一度チャレンジしようと思っていたので、英語だけは勉強を続けていました」
受験勉強をしながらの就活では、70社落ちてようやくクレジットカードのシステムに関する業務を請け負う会社に内定をもらいました。この頃には就活の挫折の日々も相まって「自分が世間に必要されていない」という感覚がより強くなったそうです。
通院で思い出した幼少期の夢
それでも、がっそーさんは仕事と並行して受験勉強を続けました。浪人生活は6年目に突入しました。入社1年目は仕事で忙しく、受験勉強はほぼできていなかったそうですが、社会人生活を送る中で医学部受験の必要性を強く実感するきっかけが生じます。
「潰瘍性大腸炎という病気になったのです。軽症だったのですが、3つの病院を回って検査をしてもらったことで、改めて医学部に行きたいという気持ちが強くなりました。高校でも大学でも目指していた夢だったので、このまま再受験しないとずっと後悔すると思ったのです」
7浪目の春には、直属の上司が会社を去ったことで、仕事の評価が給与・待遇などに反映されない不遇にも直面し、ふたたび本格的に勉強を始めます。
7浪から8浪にかけて、朝9時に出勤して夜18時に帰宅する生活の中で、すき間時間を使って勉強を続けました。
目まぐるしく環境が変わる日々を送る中、がっそーさんは現役・1~3浪目で落ちてしまった理由、成績が上がらなかった理由を深く考え続けていました。
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