独特「日本のコーヒー文化」が世界で注目される訳 喫茶店文化の中で進化したのが「ネルドリップ」

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ヴェネツィア商人やP・ド・ラ・ロークの動きなどはありましたが、ヨーロッパ(のとくに上流階級)におけるコーヒー流行の決定打となったのが、1669年の出来事です。

この年、オスマン帝国の皇帝メフメト4世は、ソリマン・アガという大使をフランスのルイ14世のもとへ遣わしました。ヨーロッパへ領土拡大していたオスマン帝国が、領土を接するオーストリアと戦うためにフランスを味方につけたかったのです(オーストリアとフランスはいずれも当時の大国で、対立関係にありました)。

ルイ14世に謁見するソリマン・アガ。

パリに到着したソリマン・アガは、仮住まいをトルコ風に豪華に飾り立て、訪問客にコーヒーを振る舞ってもてなしました。このコーヒーが大評判になります。豪華な調度とともに味わうコーヒーは、パリの貴族から庶民まで、その心をつかみました。背景には、「オリエンタリズム」ともいうべき異国文化への興味や、当時の強国オスマン帝国への関心が見てとれます。

ともかく、このソリマン・アガのフランス滞在という象徴的事件をきっかけに、コーヒーはフランスに広まり、大流行します。

大使として本来の交渉はうまくいかなかったソリマン・アガですが、パリにコーヒーを広めるには充分な働きをしたことになります。

ソリマン・アガがフランスに駐在したのは、たった1年弱のことでしたが、これを機に評判になったコーヒーは瞬く間にヨーロッパ中の商人たちの注目の的になり、フランスのみならずヨーロッパ全土へと急速に広まります。

ロンドンで火がついたコーヒーハウス

カフェハネがオスマン帝国の市民たちの交流の場であったように、ヨーロッパのコーヒーハウスも市民の交流の場として広がっていきました。

ヨーロッパで最初にコーヒーハウスが流行したのはイギリスです。

イギリスといえば紅茶のイメージが強いですが、実は紅茶より先に流行したのがコーヒーです。1652年、ロンドンにイタリア出身のパスカ・ロゼがヨーロッパ初のコーヒーハウスをオープンし、社交の場として瞬く間に人気になります。その後ロンドンには次々にコーヒーハウスができ、30年後には約3000に増えたのです。まさに大ブームの様相です。

それまで、イギリスの社交場としてはエールハウス(パブ)がありましたが、当然ながらアルコールの影響で酔っぱらっているのが普通でした。真面目な議論をしても、最後には酔っぱらって支離滅裂、よく覚えていないのです。これでは、なかなか建設的な話ができません。

一方で、コーヒーハウスは素面でいられるどころか、コーヒーのカフェインのおかげで頭が冴えます。カフェインには抽象的な思考を高める効果もあると言われており、まさに議論に向いています。

私は、コーヒーハウスが流行した本質的な理由はこれだと考えています。

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