レジにこそ「日本社会が抱える深すぎる闇」がある
「えらいコーヒー、値段上がりましたね? 前まで180円や200円や言うてたのに、もう230円か……。味は一緒よね? 本部がどんどん上げてきてるの? やっぱり売り上げに影響ある?」
「ええ、すべてどんどん、本部が上げています。まぁ、このエリアですから、値段が上がっても正直、売り上げにインパクトはないですね……」
長年、家の隣にあるという理由で通い詰めている某大手コンビニのレジで、後ろが混んでいるのに今日も長々と与太話を長引かせ、店長と居並ぶ客を閉口させるのは、『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』を上梓する一方で「レジ研究家」をも自認する私、ムーギー・キムである。
私は長らく、日本のレジにこそ、日本社会が抱える「深すぎる闇」が見えると警鐘を鳴らしてきた。
こちらはガリガリ君1本を買いたいだけなのに、その直前に立ちはだかり、「あれ? ポイントカードのアプリ、どこに行ったっけ?」とスマホをひたすらスクロールしつづけ、小銭やらカードやら携帯のアプリやらを探してもたつき、列を大渋滞させる「残念なレジ支払者」たち。
時には、支払うときに小銭をもたもた財布から取り出し、揚げ句の果てに1円足りずに「なんで、こういうときに限って1円が足りひんのや? 1円を馬鹿にするものは、1円に泣くというのは、ほんまやな!」などと、伝統のことわざを繰り出すのだから、手が付けられない。
ここでは「レジでバレる日本文化の特徴」に関し、隣国「韓国のレジでバレる特徴」や、その他世界各国のレジと比較することで、「日本社会の問題点」に、広い国際的視点と深い教養で迫っていきたいと思う。
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