陰惨で狡猾?人情家?「北条義時」史実に見る実像 「鎌倉殿の13人」主人公の「吾妻鏡」での描写

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それと絡んで、ドラマ第33回「修善寺」において、義時と仏師・運慶が15年ぶりに再会した時の描写は印象的でした。

運慶は久しぶりに再会した義時の顔を見て「お前、悪い顔になったな」と評するのです。それに対し、義時は「それなりにいろいろありましたから」と弁解。義時の言葉を受けて、運慶は次のように答えます。

「だが、まだ救いはある。おまえの顔は悩んでいる顔だ。己の生き方に迷いがある。その迷いが救いなのさ。悪い顔だが、いい顔だ。ああ、いつか、おまえのために仏を彫ってやりたいなぁ。うん。いい仏ができそうだ」

このシーンからも、義時が苦悩しつつ「悪事」に手を染めていることが窺えます。義時の若き嫡男の北条泰時は、かつての純情まっすぐな義時を見ているかのよう。義時と泰時――悪事を重ねる義時と、それを非情と捉えて非難する泰時の「対立」も見応えがあります。

得てして、ドラマの主人公というものは「いい人」になりがちです。本当は主人公がやった悪事を他人がやったように描かれたり、主人公はつねに善人として描かれたりすることも多い。その点、今回の「鎌倉殿の13人」は、主人公の非情さもしっかりと描写しています。

吾妻鏡では「気配りのできる優しい人」の印象

鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』の中には、義時の性格を示すような逸話が複数、盛り込まれています。同書は、北条氏の政権下において、幕府関係者により編纂されましたので、北条氏を美化する記述もあり、取り扱い注意なところもあるのですが、鎌倉時代初期・中期の政治史を語るうえで不可欠な史料とも言われています。

あくまで、同書を読んだかぎりですが、義時は陰惨で狡猾な人間というよりは、気配りのできる優しい人との印象を受けます。

例えば、3代将軍・源実朝の怒りに触れ、謹慎を命じられた東重胤からの嘆願に応じ、赦免の仲介をしたり、大江広元の子・時広が京都に戻ることを将軍・実朝から拒否され、困り切っているときも手を差し伸べて、都に帰れるようにしたりしています。

義時の仲介に喜んだ東重胤が「わが子孫、部下としてあなたにお仕えしましょう」といったという箇所は、若干、創作のきらいがあるように思えてしまいますが、義時が困り人を助ける話が、まったくの作り話とは思えないのです。

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