取材の内容は、定かに記憶していない。たぶん、当時の政治、経済、経営についてであっただろうと思うが、なにせ、その質問が、側で聞いていて、私にとっての最大の関心事であったから、このことしか、記憶に残っていない。
「松下さん、いままで経営をしてこられたその経験から、指導者として必要な条件は、いろいろとあると思われますし、すでに折々にいくつか挙げておられますが、しかし無理なことだとは思いつつ、あえて質問させていただきます。指導者、経営者にとって、ただひとつ、必要な条件、これだけは、絶対に持っていなければならない条件をひとつだけ挙げて頂けませんでしょうか、いかがでしょうか」
私は、内心、そうそう、それですよ、いくつも挙げられても凡人では、無理ですよと思いながら、さあ、松下が、どう答えるのか、身を乗り出した。
「う~ん、そうですなあ、ひとつね、ひとつだけですな。ま、ひとつだけ指導者に必要な条件を挙げよと言われれば、それは、自分より優れた人を使えるということですな。そう、これだけで十分ですわ」
記者は、大きくうなずき、私は、なるほどと納得した。
終わって、松下に、その答えに感銘したということを告げると、
「そりゃそうやろ。経営者にとって大事なことは、優秀な部下を集め、あるいは、育てることや。いくら優秀な人でも、人間ひとりには、限界があるわ。なんでも一番ということはない。自分より、優秀な人はいっぱいいる。だからな、指導者が、なんでもオレがオレが、と言ってもできんわけや。むしろそういう自分より優れた人を傍に集めて、その人たちを活かし使う能力というか、そういうことができるということであれば、その人は、それで十分、立派な指導者と言えるけど、得てして、指導者という人は、自分より優れた人を遠ざけるな。だから、いくら優秀でも、自分の程度にしか成功せんわけや」
いかに有能な人物を使えるか
漢の大帝国をひらいた高祖劉邦が、あるとき、部下の名将韓信に尋ねる。
「私は、どれぐらいの兵の将になれるか」
「陛下なら、せいぜい10万人の軍隊の将でございます」
「それなら、貴公はどうだ」
「私は、多いほどよろしゅうございます」
「それだけ、有能な貴公が、なぜ私の部下になっているのか」
「陛下は、兵の将ではございませんが、将の将となれる方だからです」
つまり、大軍を指揮して勝利を収めるという才能では韓信のほうがずっとうわ手だが、高祖は、その韓信を使いこなせる人物だという中国古典にある話を、いま、思い出した。
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