昭和48(1973)年前後は、現在とは逆で、インフレ不況であった。なにせ48年のインフレ率は11.6%、翌49年は、実に20.7%。世に言う「狂乱物価」が、この時である。平時としては未曽有のインフレであった。それは、田中角栄内閣による金融緩和圧力を受けた日銀が、貨幣を過剰に供給したことにあると言われている。
東京大学教授で著名な国際経済学者、小宮隆太郎も、「昭和48~49年のもっとも重要な原因のひとつ、あるいは最重要の原因は、46~48年の3年間にわたって過大な貨幣供給がなされたことである。……2年も3年もの間、急速に貨幣供給を増大し続ければ、やがて物価が急騰せざるを得ないということだけはほぼ間違いない」と指摘している。
これに対して政府サイドからは、反論があった。「なにをもって過大というのか。その際の基準はなにか」。
その論争はともかく、インフレの猛威は、国民生活に痛烈な打撃を与え、経済活動にも深刻な影響を及ぼした。
日本の危機を1冊にまとめた松下
その状況を見かねた松下幸之助は、『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所)という書をまとめ出版。昭和49年12月初旬であった。
この書で、この危機の原因は戦後30年間の日本の歩みにあるとして、憲法の問題点、不信感の増大、民主主義のはき違え、国民を甘やかしてきた政治、国家経営の理念の欠如など根本的な問題点を指摘。その解決策として、「大学半減を含む教育の抜本的改革」「臨時物価安定法」「100兆円の経済安定国債の発行」など、経済の立て直し、発展のための救済策を提示、その早急な実施をすべし、と提言した。
「このままでは、いけない。いまのままで、手をこまねいていれば、お互いに破滅してしまうほかない。なんとかこの難局を切り抜けて、そこからよりよい日本をつくりあげていかなくてはならない」
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