イギリスでも大学の事情は同じでした。2月9日配信記事「日本人がわかってない欧米流リーダー育成の凄み」で、オックスフォードの学生が第2次世界大戦前に、「国家と国王のためには戦わない」というディベート結果を残したことをお伝えしました。戦中の首相チャーチルは、この決議を後々まで憎みます。
ウクライナでも、大学は為政者たちの意に添わずに自立します。権力者からは、空虚な理想を求めて議論ばかりしていると思われたでしょう。また、教授陣は自由思想を若者に吹き込む、危険な存在と映ったのかもしれません。
イギリスとの違いは、ウクライナはソ連下の社会主義制度によって、その後の情報の開示や、思想の自由が著しく制限されたことです。
ところが、キーウ大学の赤い色は、ずっと変わりません。ソ連時代は、赤色がかえって良かったのかもしれませんが、独立しても赤です。なぜでしょう。
理由の1つに「記憶にとどめておく」ことが、あります。かつて大学は、過ちを犯した為政者から、破廉恥なさらし者にされた事態を忘れないためです。
これはニコライ2世を非難するのが目的ではありません。国のリーダーたちが、「つねに適切とは限らない」ことを記憶しておくのです。
そして、過ちが繰り返されないように、学生と未来を考えます。
過去の英知をもとに現在を評価し、未来を考える
拙著『オックスフォード最強のリーダーシップ教室』にも詳しく解説していますが、11世紀の大学の創設以来、西欧の図書館は、書かれた記録を集め続けています。書庫に置く本の内容は、基本的に検閲しません。このため、各時代の異なる立場や考えの書籍が膨大な資料として残されています。
これらを後世の人が丁寧にひもとき、今の事象を批判的に評価します。有史以来、人類は少し知恵を付けたようですが、同じような過ちを続けています。
大学の図書館には、人間の数々の失敗が記録されているとも言えます。しかし、そこには各時代の解決法と、結果も残されています。
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