ウクライナに住む当事者の立場を見ること
今にもウクライナで戦争が起きそうだと大手メディアはかき立てている。残念ながら、すでに、ロシアは独立を求めるウクライナの親ロシアのドンバスの2つの共和国に侵攻してしまった。首都キエフなどでも戦闘が行われている。ロシアとウクライナの対立の小さな火を、扇で仰いでしまったようである。コロナ禍によって世界で多くの人が亡くなっている最中、むしろ世界の協力と平和を求めるべきなのに、第三次大戦になりそうな戦争の可能性をマスコミも大国の外交もあおってしまったのだ。いったい、世界はどうなってしまったのか。
ウクライナ問題は根の深い問題である。歴史をさかのぼればさかのぼるほど、一筋縄ではいかない問題であることが見えるはずだ。この問題を考える際に、まず考えねばならないのは、ロシアの主張は本当に不当なのかどうかである。思考停止は、最初から偏見を持つことにある。相手の立場に立って見ることも重要だ。さらにはウクライナの人々、ウクライナのロシア人、ポーランド人、そのほか普通の人々の立場に立って冷静に見ることも重要だ。
もちろん、ここでロシア政府とロシア人を同じものだと考えてはいけない。またウクライナ政府とウクライナ人(大半はロシア人だが)を同じものだと考えてはならない。ウクライナ問題の中でまったく見えてこないのは、ウクライナに住む人々の声だ。とりわけ問題のドンバス地域に住む人々の声だ。当事者抜きで、アメリカ、ロシア、ウクライナといった国家レベルだけで考えれば、住民の望むところは理解できない。
帝政ロシア時代の哲学者、作家で、『向こう岸から』を書いたアレクサンドル・ゲルツェン(1812~1870年)は、西欧の向こう岸から世界を見ればどうなるかについて書いた人物だが、彼のいう「向こう岸」は東欧にあるロシア政府ではなく、ロシアの農民であった。彼は当時のヨーロッパの良識の代表でもあった歴史家のミシュレによる、ロシア人は野蛮であるという一方的な評価に対して、彼への書簡の中でこう述べている。
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