消えた「数学C」が復活、奇妙すぎる日本の教育改革 脱「ゆとり」を提唱した数学者から見た教育行政
2020年の4月から5月頃にかけて、コロナの影響による自粛期間中に「9月入学」の話題が急浮上した。背景には、自粛期間中の学校での学びが一部を除きほぼストップしたことがあったと同時に、「半年後ぐらいには、コロナは収束するだろう」という甘い見通しもあったのだろう。その後の展開を見れば、「9月入学」が進められていたら現場は大混乱必至であったことは明らかである。
実は、それより何年か前の平時に、文部科学省でも「9月入学」の問題はさまざまな見地から検討されたことがあったが、慎重にならざるをえない課題もあったようだ。それを踏まえると、大混乱に至る前に「9月入学」の話題が沈静化したことは良かったと振り返る。
「ゆとり教育」の問題が明るみになってきた90年代の半ばごろから、筆者は数学に関係するさまざまな教育問題を自分自身の問題として考え、積極的に取り組んできた。
そこで得た結論は、上述の「9月入学」の問題ばかりでなく教育行政の改革は小回りがきかないだけに、一旦動き出すとマイナス面を修復するには膨大な時間がかかるということである。筆者が関わった小さくない問題を紹介していこう。記事後半では、学習指導要領の改訂の度に入れ替わるカリキュラムの問題点を指摘する。
「ゆとり教育」で減らされた授業時間
1998年の学習指導要領改訂で「ゆとり教育」の骨組みが定められ、数学を中心に教育内容や授業時間数を3割削減するなどの目標が設けられた。ちなみに、「ゆとり教育」時代の中学校での数学授業時間数は1年、2年、3年とも週3時間で、これは世界でも最低レベルだった。
驚いたのは、その3割削減した内容が、当初は「ゆとり教育」の「上限」であったのである。さらに90年代後半には、数学の授業時間数が今後減ることで、いくつかの県では高校の数学教員がゼロ採用になってしまった。
当時、諸外国は数学教育の充実を図る動きを見せていた。大した資源のない日本が技術立国に発展する姿を見ながら育ってきた者として、授業時間の削減は我慢できるものではなかった。そして、「ゆとり教育」を改めさせるための活動を開始した。
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