「使い捨て」をやめて手に入れた「王侯貴族的生活」 「今あるもの」でいつまで生きられるのか?

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いや……私は心底驚いてしまった。だってもし私ならデスよ、鍋の蓋のつまみばポロリと取れたら、あるいはポットの取っ手が割れてしまったら、そこまで長く大事にそれを使い続けた自分を間違いなく褒めるところだ。むしろ「ちゃんと使い切った!」と自慢するところである。で、堂々と新しい品を買うにちがいない。

でもここではそうじゃないのだ。そのくらいではまだ壊れたということにはならない。まだまだ使えるという認識なんである。じゃあいったいどの時点で「壊れた」「もうだめだ」と認定するんですかね?

「うーん、底に穴が開いたら、ですかね……」

えー、そ、そこまで……? しかし確かに底に穴が開いてしまったら、もうどうやっても鍋やポットとして使うことはできない。つまりはそれはもう鍋でもポットでもない。鍋あるいはポットとしてのアイデンティティーが失われた瞬間である。なるほど確かに、その時点をもってして「壊れた」と認定するというのは実にシンプルで合理的な意見のように思えた。

「使い切る」ことでどんどん「おしゃれ」になる

そうか。そのように考えればいいのだな。

さらに私にとってものすごく重要だったのは、そういう彼らが、そして彼らが修理しまくって使い続けているふるびたモノたちが、無性にかっこよく見えたということである。

何しろその鍋だのポットだのは、どこぞのブランド品でもなんでもなく、誰かの結婚式で引き出物としてもらっちゃったもののどうも趣味も合わないんだよな……とつい棚の奥にホッタラカシにしてしまうような、どちらかといえば安っぽい、花柄とかの、つまりはごくフツーのものばかり。

でもそれが、こうして直しながらナガ~く使われていることで、なんかものすごく「いい感じ」になっているのである。めちゃくちゃおしゃれなんである。

ってことに気づいた時、私の心を覆っていたモヤモヤはサーっと晴れたのであった。

「物を使い切る」って、我慢しなきゃいけないことでも、辛気臭いことでもなんでもないんじゃないだろうか? 

っつーか逆に、どんな平凡なもの、どうってことないものも、「使い切る」ことでどんどんかっこよく、おしゃれになっていくんじゃないだろうか? 

っつーかむしろ彼らのかっこよさを前にしては、使い切りもしないうちに、ただ「飽きた」とかいう理由で、あるいは何かの宣伝とか甘言とかに目を奪わて、安易に買い替えるっていう行為そのものがえらくダサいことに思えてきたのだ。

このようなマインドセットの書き換えに成功すれば、もはや物事は成功したも同然である。私はもう何の迷いもなく、嬉々として「今あるものを使い切る」行為に邁進したのでありました。

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