「使い捨て」をやめて手に入れた「王侯貴族的生活」 「今あるもの」でいつまで生きられるのか?

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それはもちろん地球環境を守るため……ではない。いや結果として地球環境を守ることは疑いないし、そうなれば実に素晴らしいことだが、それはあくまで結果であって、われらがまず見据えるべきはもっと身近な個人的問題、すなわち「今ここにある人生の危機」である。

改めて考えてみてほしい。あなたは今の人生に十分満足しているだろうか。すなわち欲しいものが十分手に入り、さらにはこれから死ぬまでの将来の不安もなく、いついかなる時も心安らかに満ち足りた一瞬一瞬を過ごすことができていると言い切れるだろうか?

言い切れるなら、それでよし。別にシケた昔のことなんぞ何も思い出さなくたって構わない。そのまま今の感じで生きていったところで、誰に文句を言われる筋合いもないと私は思う。

でも、こと私のことで言えば、全然そうは言い切れなかったわけです。

若い時は頑張って金を稼げば人生安泰と単純に考えてたが、人生も後半戦に入ってくるとこれから先の長い老後のことが心配で心配で! 

だって人生100年時代ですよ! いくら貯めたって足りないヨどう考えても。なのに、私ってば50歳でうっかり早期退職して一気に無給生活。将来どころか一瞬先がヤミである。となれば考えることは一つで、まずは金を節約しなけりゃどうにもならない。

ってことで当然私が考えたのは「とりあえずは今あるもので何とかやっていかねば」ということでありました。買い替えなんて贅沢なことやってる場合じゃない。そうムカシの日本人のごとく「ものを大切に、長くつかう」。

……いやこう改めて書くと、なんだか本当にレトロな一言である。セピア色な感じ。実に懐かしい。私が子供の頃(半世紀前)は、このようなことは当たり前の道徳として、人類普遍の善行のように言われてきたってことをたった今思い出した。

「使い捨て」を「使い切る」に変えてみる

でもまさしく今は昔であります。若い方々はもしかしてこんな言葉、見たことも聞いたこともないんじゃないだろうか? だってさっきも書いたけれど、このような道徳は現代の経済活動にとっては敵以外の何物でもない。

「贅沢は敵」(戦時中のキャッチコピー)ではなくて「贅沢は素敵」なのだ。ちなみに後者はバブル期のコピーで当時は非常に新鮮だったが、今はあまりにも当たり前になってしまってもう誰も覚えておらんという事実もまた恐ろしい。

あ、つい興奮して話が脇に逸れてしまったが、いずれにせよ、そんな贅沢な現代においてワタクシはただ一人、個人的な切羽詰まった事情に迫られて、そのような古臭い、カビの生えた道徳をどっこいしょと引っ張り出してきたわけです。

これからは、古びてこようが流行遅れになろうがガマンガマン。当然しみったれた暮らしにはなろうが、生きていくためにはそんなことをゴチャゴチャ言うている場合ではない。

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