マキタスポーツ「20代の挫折」経て気づいた才能 器用さを褒められても素直に受け止められず
──やっぱり当時から、マキタさんの興味の軸はお笑いと音楽だったんですね。
マキタ:目立ちたかったから、芸人にはシンパシーを感じてましたね。でも学校では笑いを取るだけでは満足できなくて、モテたいからバンドもやるって感じでした。
あと中学生くらいになると、僕みたいな過剰に人を楽しませようとする奴って、ちやほやされだすんです。常軌を逸脱したことをやるほど、あいつすげえって伝説みたいになってくる。僕の行動原理はほとんど変わってなかったけど、周りが変わってきて。僕自身も、周りの言ってることとか、物事がわかってきて、急に景色が変わった感じはありました。
──当時から、お笑いと音楽を融合させたことをやりたいという思いがあったんですか?
マキタ:当時は、とんねるずやたけしさんが歌を歌ったり、タモリさんが音楽的な素養を持っていたり、その頃のすごい人たちって、お笑いと音楽を両方やっている人が結構いたんです。清水ミチコさんもそうですよね。お笑いっていうより、「演芸」ですよね。
だから小学校の頃から「演芸の道に進む」ってことは決めていて、ずっとそれ一本でした。今やっていることは、昔から全部やりかったことですね。
僕の演芸の師匠は、長渕さん
──マキタさんの「オトネタ」の構想はいつ生まれたんでしょうか。
マキタ:構想自体は、中学のときです。「長渕剛のオールナイトニッポン」のギター講座で、長渕さんが「ギターの弾き方を変えたら誰々風になる」とか、「歌い方をこうすると吉田拓郎さんに聞こえる」というような話をしていて、すごい!と衝撃を受けたんです。
コードやメロディー、歌詞とか、ありものをうまくつなぎ合わせれば、オリジナルになるということを長渕さんから学びました。この方法論があれば自分も何かできるんじゃないかって思って、高校時代からお笑いと音楽をミックスしたギター漫談の原型みたいなことをバンドでやってました。「浜田省吾さんが童謡歌ったらこうなる」とかね。
よく「マキタさんは、タモリさんとか清水ミチコさんの影響を受けているんですか?」って聞かれるけれど、僕の演芸の師匠は長渕さんなんです。