マキタスポーツ「20代の挫折」経て気づいた才能 器用さを褒められても素直に受け止められず
周りを笑わせることに、生きがいを感じていた
──マキタさんの子ども時代を教えてください。
マキタ:子ども同士で放っておくと、相手の子を泣かしてるようなわんぱくな子どもでした。周りの言ってることがよく理解できなくて、言葉よりも先に手が出てしまう。エネルギーだけは持て余していて、いたずらばかりしてましたね。
親や先生にもよく怒られていて、迷惑な子どもだったと思います。自分でもそれをわかっていて、小学校高学年くらいまでは生きてるのが楽しくなかったんですよ。あと、親に言われて小学2年から剣道をイヤイヤやっていました。本当は野球をやりたかったんですよね。
──笑いについては、どう思っていましたか?
マキタ:芸人になるような人間って、いちばん最初に笑いがどうやって生まれたのかをすごく覚えているんですよ。僕は小学1年生のときで、給食の時間に先生が食べカスを「ボールに戻して」って言ったのを聞いて、僕がボールを投げるふりをしたんです。そしたらドカンと笑いが起きて。先生には怒られたけど、ウケた!って感動しました(笑)。「勘違いで笑いが生まれるんだ」ってことを初めて知った瞬間です。
それからは周りを笑わせることに生きがいを感じていました。コミュニケーションが下手だったから余計にそうなったんですよね。でもなんでも過剰にやっちゃうから、結果的にあまり人望がなかったんです。キックベースで遊んでるときに、わざととんでもない方向にボールを蹴ったり、1塁に走るべきときに3塁に走ってみたり。みんなは笑うけど、先生には怒られて。それで友達のほうを見たら、もうみんなそっぽ向いてるみたいな感じでした。
──当時から笑いをとるためにあれこれ計算したりしていたんですか?
マキタ:そうですね。どうしたら笑いが生まれるかってことは、しつこく覚えていました。よく体育の授業でふざけて先生に怒られていたんですが、あるとき授業後に女子が僕のところに来て「わざと転んだんでしょ?」って言ってきたんです。なんでバレた?って思って。男子が笑ってる一方で、冷徹に見ている女子もいて、うっかりしたことやるとすぐバレるんだなって。批評というものを知った瞬間でしたね。