マキタスポーツ「20代の挫折」経て気づいた才能 器用さを褒められても素直に受け止められず

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──なるほど(笑)。マキタさんの得意な分析は、小学校から始まっていたんですね。好きなお笑い番組とかはありましたか?

マキタ:当時はドリフターズや「欽ちゃんのどこまでやるの!」あたりがすごくはやっていて、全部チェックしてました。ちょうど僕が10歳の頃に漫才や演芸のムーブメントが起こって、ツービートやザ・ボンチ、B&B、紳助竜介、さんまさんとかがどんどん出てきた時代だったんです。

それまで「お笑い」って年寄りくさいイメージがあったけど、たけしさんや紳助さんが街場の兄ちゃんと同じような格好で出てきて漫才するのを見て、子ども心に「何か変わってきている」って感じてワクワクしてました。僕みたいな狼藉を働いたりする人間の後ろ盾ができたような感じもありましたね。

好きなものは、音楽とお笑い

(写真:前田晃〈maettico〉以下同)

──音楽はいつ頃から好きだったんですか?

マキタ:小学校の頃から、4才年上の兄が深夜ラジオで仕入れた曲を教えてくれてたんです。「オールナイトニッポン」のイチ押し曲とか。少したってからその辺の曲がテレビの歌番組に流れるってサイクルだったから、同学年の子たちよりも早く知ってましたね。兄は、ポップカルチャーからサブカルチャーまでいろいろ知っていて、レコメンダーになってくれていたので、僕もその影響をめちゃくちゃ受けてました。

あと、兄が吹奏楽部に所属していて「お前もエレキギターとか、なんか楽器をやれ」って言うので、当時楽器は特に興味なかったけど、モテるのかな?って期待してギターを弾き始めました(笑)。高校時代は、バンド組んで文化祭で演奏したりもしてましたね。

──時代的には、ロック全盛期の頃ですよね。

マキタ:そうですね。80年代末頃に、今までの歌謡界にはいなかったブルーハーツやBOØWY(ボウイ)みたいな僕らの世代を代表するロックバンドが出てきて、バンドブームが起こるんです。僕も憧れて聴いてましたけど、へそ曲がりだから自分たちのバンドではそういうメジャーどころではなく、佐野元春さん、織田哲郎さんとかをコピーしてましたね。

音楽専門番組「MTV」が始まったのもこの頃。あとは、当時インスト系(歌のない演奏だけの曲)の「フュージョン」ってジャンルがはやっていて、日本のカシオペア、スクエアとかフュージョンバンドをコピーして、家でよく練習してました。

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