中国の内と外で違う人権や少数民族への認識
近年の中国をめぐっては、新疆ウイグル自治区における強制労働や産児制限など、人権状況への懸念が急速に広まっている。しかし中国は外界の批判を「デマ」と一蹴し、むしろ新疆では「社会の安定」が実現し、中国の経済力が世界を暖かく包む「一帯一路」の拠点として「発展」を続けていると喧伝している。
なぜ外界と中国では、少数民族問題や人権問題をめぐってまったく見方が異なるのか。この問題は、今後の世界に対する中国の向き合い方や、広く人類社会における多様性と共同性の関係を考えるうえで重大な論点をはらんでいる。
まず、一口に中国の少数民族といっても実に多様であり、中国の党と政府、あるいは人口の93%を占める漢族との関係は、中国の主流をなす華語(中国語)と漢字文化にどの程度馴染んでいるかによって大いに異なる。
しかし中国は、アヘン戦争以来の中華文明の衰退を挽回し「富強」を実現するために、漢族・中華文明を中心とする「中華民族」という名の国民共同体をつくろうとしてきた。中国では、すべての人々が取り込まれるべき「中華」という名の「人民」「民族」が、まず想定され、個人や個別文化はその中に融解されやすい。
ところが、この「単一民族」国家は同時に、さまざまな民族の違いを国家が公定し固定しており、このことがさらに少数民族問題を複雑にしている。
中国には公式見解で合計56の民族がいるが、これは1950年代以後の「民族識別工作」の結果である。では、何故「中華民族」の内側が細分化され、独自のアイデンティティーが認められているのか。
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