中国の民主主義と人権の「認知戦」に要警戒なワケ 習近平政権による「話語権」と価値の相克

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これを放置し自由民主主義の価値が劣勢に陥るならば、日本の国益とはならない(写真:Qilai Shen/Bloomberg)

米中貿易戦争により幕を開けた、国家が地政学的な目的のために経済を手段として使う「地経学」の時代。

独立したグローバルなシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」の専門家が、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを、順次配信していく。

中国による民主主義と人権の再定義

異質な経済大国である中国が台頭することで国際秩序はどう変容するのか。議論が尽きないこの問題に、習近平政権は新しい視座からのアンチテーゼを提起している。それは「そもそも中国を異質だとする『西側』の見方が誤りなのである」という、中国に対する評価基準そのものへの疑義である。

このわれわれの根本的な価値認識に相対する主張は、世界における民主主義の後退、新自由主義とグローバル化を両輪とした経済活動の減退、アメリカ社会の分断が明らかにした民主主義の機能不全などを背景に、国際社会が価値規範に対する自信を失う状況において巧妙に浸透が図られている。

習近平政権が注力するのが、民主主義と人権の再定義である。例えば民主主義について習政権は「全過程の人民民主」という中国式の民主制度があり、「1つの国家が民主であるかは、その国家の人民が評価する」ものだと主張する。世界にさまざまな民主化の過程やレベルがあることを想起するならば、「民主主義は多様であるべきだ」「そこに暮らす人々の評価が大切だ」という耳あたりの良い言説に、つい頷きそうになる。

だが、そもそも評価に主観は介在してはならないはずだ。客観的に評して、中国には確かに一定の政治参加を可能にする制度があるものの、政治権力に対するチェックアンドバランスが機能せず言論の自由もなく、やはり民主主義体制だとは認められない。

さらに習政権が規定する「民主」概念は、市民が政治的な権力を行使できる幅広い政治状況を示しているにすぎず、従来の政治学が検討を重ねてきた、公的な異議申し立てや政治参加の水準あるいは社会の自由度などを指標とする、政治制度としての民主主義とは異なる。

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