その程度が最も甚だしいのが新疆ウイグル自治区である。新疆では、個人の思想と行動がAIで「分裂主義・テロリズム・宗教極端主義=三毒」に染まっているか否か評価され、少数民族独自の文化や宗教を尊ぶ人々や、彼らに対して甘い対応をした党・政府幹部は、「職業技能教育培養転化センター」と称する強制収容所に送られ、さらに有罪判決を受けている。
中国が新疆問題をめぐる外部からの批判を「デマ」と切り捨てるのは、すべての人の内面が「中華民族共同体意識」に合致してこそ中国の「発展」が促され、「中国の人権」が実現されると考えるためである。それは、特定の民族への蔑視というよりは、「善意」を以て人間の内面を改造する暴力である。
以上のように中国の少数民族問題は、個人や個別の文化と「共同性」の関係をめぐる人類史的な難題と直結している。「中華民族」を力で塑造する余り、今や成熟した市民社会である香港や台湾をも圧迫する中国の姿は、「ルーシ兄弟民族の大義」を称してウクライナを侵略するロシアの姿とも重なる。
日本にも甚大な影響
このような中国の変容は、日本にも甚大な影響を与えつつある。
かつて日本は、欧米に対抗するアジア主義の「同文同種・一衣帯水」という理想、すなわち漢字文化を共有する黄色人種は、偶然東シナ海を間に挟んでいるにすぎず一心同体で連帯すべきだという発想とともにアジア諸国を侵略した。
一方、中国は、本来「同文同種・一衣帯水」であり、中国から見て最も近しく親しいはずの日本が、何故中国になじまず、中国を侵略し、今やアメリカに追随するのかと強く不満に思っている。中国の観光客が京都や奈良に殺到し、日本の文化を消費することと、抗日愛国の激しいナショナリズムは、同じ根から生じている。
そこで中国は日本に対し、経済的にも制度的にも疲弊し衰退するアメリカから離れ、共産党体制の成功を直視し、中国との心からの協力による発展の道を選ぶことこそ、日本の未来にとって望ましいというメッセージと圧力を発している。
しかし、あらゆる社会と文化は永遠不変ではなく、外からのさまざまな刺激によって変わる。その結果中国と日本、まったく異なる文化と社会ができあがったことを相互に尊重すべきである。いまだ残る「同文同種」的な世界観は、一見「友好」的に見えて、実は自由で多様な世界を害しかねない。日本は「同文同種」「共栄圏」の名におけるアジア諸国への侵略を痛切に反省し、今日の平和国家を創ってきたからこそ、中国が内外でかつての日本と同じ誤りを繰り返すことを批判しつつ、日本の独立と自由、そして世界平和を担保しなければならない。
(平野聡/東京大学大学院法学政治学研究科教授)
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