倒閣運動"沸騰"でも辞めない石破首相の《胸の内》、泰然自若として続投表明を繰り返すのは「天の声にも変な声がある」から?

1978年11月に行われた自民党総裁選挙の予備選で大平正芳元首相に負けた福田赳夫元首相(ともに故人)は、「天の声にも変な声がたまにはある」と述べて、潔く負けを認めた。
福田氏はこのときのことを、著書『回顧九十年』に「私は選挙の過程で『予備選で鮮やかな結果が出たら、その結果に従わなければならない』と主張していたし、『政治家として自分の言葉に責任を持つべきだ』と考えたからだ」と記している。“政治家の矜持”ということだろう。
石破茂首相は、7月20日に投開票された参院選について「非改選議席を含めて自公で過半数」と“勝敗ライン”を宣言していたが、実際に自公両党は47議席しか獲得できなかった。和歌山県選挙区で勝利した無所属の望月良男氏を追加公認するなどをしても、自公が過半数になる「50議席」には足りていない。
にもかかわらず、石破首相は投開票日の翌日に続投を表明した。その理由として「比較第1党として国民から支持された」とし、トランプ関税への対応について「政治を停滞させないよう、漂流させないよう、国家・国民の皆さんに対する責任を果たしていかねばならないと考えている」と述べた。
「石破降ろし」の一方で続投を望む声も
自民党内では「石破降ろし」が沸き上がっている。執行部は両院議員懇談会でなんとかなだめたい意向だが、旧茂木派、旧安倍派、麻生派の中堅・若手を中心に、両院議員総会の開催を求める署名が行われ、25日午後3時の締め切りまでに開催に必要な3分の1が集まった。
もっとも、森山裕幹事長の地元である鹿児島県連など、石破首相の続投を求める声もある。現職が落選した宮崎県連では25日に臨時役員会が開かれたが、早期退陣を求める意見は出なかったという。しかし、同県連の古川禎久会長代行は22日に「自民党は原点に返って野に下る決断をすべき」と決した“5人衆”の一員だ。
25日夜には首相官邸前で、石破首相の続投を求めるスタンディングデモが行われた。「石破辞めるな」などと書かれたプラカードが掲げられ、「差別をあおる政治家はいらない」とコールが続いた。ほとんどは石破首相の支持者ではなく、ただ与党の中で“ましな為政者”を求めているにすぎないが、その背景に「現在の野党では政権を担えない」との思いがあるのだろう。
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