「自分は幸運」と思う人になぜか好機が巡る理由 思考の悪循環を断ち、「点をつなぐ力」を高める

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私はティーンエイジャーのときに起こした例の交通事故で、身体に障害を負っていたか、命を落としていたかもしれなかった。また共同創設者となった組織がもし追加出資を受け入れていなかったら、財政的に行き詰まっていたかもしれない。これが反事実的思考だ。

ワイズマンの研究チームは興味深い実験をしている。自らを「幸運」あるいは「不運」と考える人々に、次のようなシナリオを提示した。

「あなたが銀行に行ったら、武装した強盗が入ってきて肩を撃たれた。軽い傷を負ったが、逃げることができた」

あなたなら、この状況をどう捉えるだろうか。

自分を不運だと思っている人は、この状況を「自分の身に起こりがちなこと」と捉えるらしい。人生において数ある不運な出来事が、もう1つ増えただけだ、と。

一方、自分を幸運だと思っている人はこう捉えるらしい。「撃たれて死んでいたかもしれない」「銃弾が頭に当たっていたかもしれない」。

つまり、もっと悪い状況になっていたかもしれないという捉え方をする。

これはいったい、どういうことか。

幸運な人は、もっと悪い状況になっていたかもしれないという方向で反事実的思考をする。一方、不運な人は「こうだったらよかったのに」、あるいは「私の人生はこんなもの」という捉え方をする。

思考の悪循環と好循環の違いを生むもの

要は、幸運な人は自らを不運な人と比べる(たとえば銀行強盗に殺されかねなかった人など)のに対し、不運な人は自分より幸運な人と比べる傾向がある(まったくケガをしなかった人など)のだ。

これが思考の悪循環、あるいは好循環につながる。不運な人は自分を幸運な人と比べることで、わざわざみじめな気分になる。

一方、幸運な人は不運な人と自分を比べ、自らの不運をそれほどひどいものではないと考える。どちらのほうが、人生のなかでセレンディピティを見つけやすいだろうか。

ワイズマンの実験は、不運な人は運をよくしようと効果のない方法に頼る傾向があることも示している。たとえば迷信に頼ったり、占い師に相談にいくといったことだ。

一方、幸運な人は状況を把握し、そこから何かを学ぶために問題の根本原因を突き止めようとする。これは言葉遣いにも表れる。

「こんな目に遭った」という人は、物事を受け身的に捉えている。運不運を甘んじて受け入れるだけになる。だが自分がコントロールできる要素に意識を集中すれば、運に主体的に関与できるようになる。

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