4年前に『隠居宣言』という本を出し、デザインの仕事を受けないようにし、その後は「嫌なことはしない、好きなことだけする」ことにしています。そして小説を書くのも楽しみの一つになりました。すでに小説集を2冊出しています。
僕が初めて小説を書いたのは1970年代に入ったころ。作家の井上光晴さんから突然電話がかかってきて、命令調で「小説を書きなさい」と言う。「あなたのエッセイを読んだけれども、あなたは小説を書くべきだ」と、断れないような依頼、というか強制をされました。
エッセイで書いた母親のことを小説にしなさいと言われた。僕は「母親のことはすでに書いたから、小説で書く気はありません」と言ったら、「それではお父さんでいいじゃないですか」と。その言い方が拗(す)ねたようで面白かったので、言われたとおり父親のことを書きました。早く渡して、その関係を断ち切りたいとも思っていました。小説家志望ではないので、ただ面倒くさいというのが先行しました。
最近は本業の絵も趣味になりつつあります
それで原稿を送り、添削してほしいと言ったら「こんな小説のどこを直せばいいというんですか」と言われ、そのまま井上さんの雑誌『辺境』に載りました。次の年にもう一本頼まれたのも載りましたが、まもなくその雑誌は廃刊になりました。
それから30年以上経った3年前、二度と小説は書くまいと思っていたときに文芸春秋の『文学界』から小説を書きませんかという話が来ました。思わず笑い出して「なに寝言を言っているんですか。ダメダメ」と、その場で断りました。
ところがその日、寝る前に、アイデアが浮かんだのです。翌日アトリエに行って書き始めたら1日で書けてしまった。意外と早く書けたので、そのまま『文学界』に送ると、即電話がかかってきて「載せましょう」と。僕は親しい瀬戸内寂聴さんにあいさつをしておかないと、と思い電話しました。「ゲラ(校正刷り)を送ってちょうだい」と言われて送ったら「この続きを3編書いて単行本にしなさい」と言う。まるで井上さんに言われているようでした。
そうして単行本『ぶるうらんど』になり、泉鏡花文学賞をいただくことになりました。小説は僕の趣味です。作家を名乗る気はありません。これからもノルマを課さずに気が向いたときに楽しく書いていこうと思います。最近は本業の絵も趣味になりつつあります。絵については、これから描くものが遺作という気持ちで描いていこうと思っています。
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