肉体と精神を一体化した軽さのある遺作を 美術家・横尾忠則氏②

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よこお・ただのり 美術家。1936年兵庫県西脇生まれ。ニューヨーク近代美術館、アムステルダム美術館、カルティエ現代美術財団など内外で個展を開催。毎日芸術賞、紫綬褒章、日本文化デザイン大賞など受賞多数。小説『ぶるうらんど』では泉鏡花文学賞。

自分の描いた絵が世に出たとき、どのように評価されるか、若い頃はそのことを考えていました。でも74歳になった今、そんなことは考えていません。毎日の作品が遺作となりうるのかという気持ちで描いています。見る人がどう思うかは別です。自分がその作品に対して、ちゃんと向き合えたか、ということを考えています。

頭や手先で描くのではなく、むしろ、ぶきっちょ(不器用)に描くということです。かといって、下手に描くこととは違いますよね。そしてできた絵は、軽いものがいいと思っています。

作品は軽いほうがいいというのが僕の考え。重苦しいのはダメ。巨匠といわれる人たちの晩年の作品は、みな軽い。ピカソもモネもダリもみんな軽い。軽くなって死んでいくというわけです。

いい絵というのは自由な絵

軽いというのは自由ということ。背中に羽が生えて、ふわふわ飛べるような自由さです。結局、いい絵というのは自由な絵です。自由でない絵は、社会的な通念や常識、他人の評価を気にしています。自分の意識と体が一体化していないから重苦しい絵になるのです。

僕も70歳ぐらいになるまでは、肉体と精神が乖離していました。若い頃は乖離がよかった部分もありました。そのギャップを埋めていくためにエネルギーが生じたりしましたから。ところが歳を取ると、体が思うように動かなくなります。にもかかわらず、頭だけは若く、無理をして動かそうとして、体が悲鳴を上げます。

肉体と精神を一体化するには、死に対する恐怖感を取り除けばいいと僕は考えています。体は老化し、一日一日、死に向かっています。だから精神のほうもいつ死んでもいい、という考えを持てば、両者はピタッと一体化します。体はガタガタになり、いつ死んでもいいと言っているのだから、意識もそれに合わせるのです。俺のポンコツの車をどこまで走らせるつもりなんだ、と体は言っている、その声を聞いてあげるのです。

体と意識の折り合いがつけば、長生きもできます。折り合いをつけないから、ストレスなどで体が悪くなるのです。元気で長生きしている人たちは、死んだら困ると思わずに、いつお迎えが来てもいいという発想でいるのだと思います。

作品も同じです。体と意識を一体化させて描いた作品には軽さがあり、延命します。そのような遺作を描いていきたいと思っています。

週刊東洋経済編集部
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