「昭和のレジェンド作詞家」が今再評価されるワケ 松本隆の心理描写とリズム感と人間洞察

✎ 1〜 ✎ 46 ✎ 47 ✎ 48 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

先日、私がDJを務める、bayfmのラジオ番組『9の音粋』(月曜日21時~)で「松本隆の歌詞に出てくる男の子総選挙」という企画を開催した。すると、支持される「男の子」がおしなべて、デリケートで、ナイーブで、ちょっとショボくれた男の子ばかりだったのだ。

逆に、松本隆作品に出てくる女性には、多くの松田聖子楽曲に見られるように、自分らしさをしっかりと持っていて、男性を上に(も下にも)見ることのないキャラクターが多い。

つまり、昭和の時代に今よりも支配的だった「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から自由なのだ。ひいては性別よりも「個としての人間性」を尊重する姿勢が垣間見える。

『松本隆のことばの力』で松本は、生まれつき身体が弱く、その後亡くなった自身の妹が、いつも「大丈夫」「平気」と言っていたことを明かしながら、こう語っている。

「そういう彼女をそばで見ていて、女だから弱いとか、男だから我慢するとか、そういうことではないと、ぼくは子どもの頃から自然に学んだ」

令和に松本隆の言葉が求められるワケ

ソニーのウォークマンは1979年の発売。ヘッドホンをしながら街を歩く若者を見て、阿久悠はこう言った――「ヘッドホンで聴く音楽は点滴だ」。

カセットテープが回る昭和のウォークマンが点滴なら、スマホのサブスクから、日がな音楽を流し込んでいる令和の人々は、より重度の点滴患者だ。

世界中の音楽が簡単に聴けることは、音楽好きとして好ましいことだと思いつつ、その反動として、1曲1曲としっかり向き合い、ゆっくり寄り添い、じっくりと味わうことが激減した。

言わば音楽の洪水。点滴が洪水のように流し込まれ、耳と心を通り過ぎていく時代。

しかし、松本隆の言葉、その「見事な心理描写」と「言葉のリズム感」は、洪水をせき止めて、聴き手を音楽に向き合わせる力を持っている。

また、その、性別や時代を超えて、自分らしさを肯定する言葉は、ある意味では、昭和の時代よりもないがしろにされているかもしれない「個としての人間性」に、聴き手を向き合わせる力を持っているだろう。

戦争を止める力を持つ音楽などない。しかし、聴き手を自分自身に向き合わせる力を持つ音楽はあるはずだ。

それが、松本隆が生み出した音楽だと思う。だから、令和に求められるのだ。

スージー鈴木 評論家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

すーじー すずき / Suzie Suzuki

音楽評論家・野球評論家。歌謡曲からテレビドラマ、映画や野球など数多くのコンテンツをカバーする。著書に『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)、『1979年の歌謡曲』『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』(ともに彩流社)。連載は『週刊ベースボール』「水道橋博士のメルマ旬報」「Re:minder」、東京スポーツなど。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事