先日、私がDJを務める、bayfmのラジオ番組『9の音粋』(月曜日21時~)で「松本隆の歌詞に出てくる男の子総選挙」という企画を開催した。すると、支持される「男の子」がおしなべて、デリケートで、ナイーブで、ちょっとショボくれた男の子ばかりだったのだ。
逆に、松本隆作品に出てくる女性には、多くの松田聖子楽曲に見られるように、自分らしさをしっかりと持っていて、男性を上に(も下にも)見ることのないキャラクターが多い。
つまり、昭和の時代に今よりも支配的だった「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から自由なのだ。ひいては性別よりも「個としての人間性」を尊重する姿勢が垣間見える。
『松本隆のことばの力』で松本は、生まれつき身体が弱く、その後亡くなった自身の妹が、いつも「大丈夫」「平気」と言っていたことを明かしながら、こう語っている。
令和に松本隆の言葉が求められるワケ
ソニーのウォークマンは1979年の発売。ヘッドホンをしながら街を歩く若者を見て、阿久悠はこう言った――「ヘッドホンで聴く音楽は点滴だ」。
カセットテープが回る昭和のウォークマンが点滴なら、スマホのサブスクから、日がな音楽を流し込んでいる令和の人々は、より重度の点滴患者だ。
世界中の音楽が簡単に聴けることは、音楽好きとして好ましいことだと思いつつ、その反動として、1曲1曲としっかり向き合い、ゆっくり寄り添い、じっくりと味わうことが激減した。
言わば音楽の洪水。点滴が洪水のように流し込まれ、耳と心を通り過ぎていく時代。
しかし、松本隆の言葉、その「見事な心理描写」と「言葉のリズム感」は、洪水をせき止めて、聴き手を音楽に向き合わせる力を持っている。
また、その、性別や時代を超えて、自分らしさを肯定する言葉は、ある意味では、昭和の時代よりもないがしろにされているかもしれない「個としての人間性」に、聴き手を向き合わせる力を持っているだろう。
戦争を止める力を持つ音楽などない。しかし、聴き手を自分自身に向き合わせる力を持つ音楽はあるはずだ。
それが、松本隆が生み出した音楽だと思う。だから、令和に求められるのだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら