1990年代の中頃から為替介入による円安政策が開始され、日本の経済政策が外需依存志向に切り替わったことを前回述べた。
これは、日本経済の構造変化と密接にかかわっている。それは、供給面にネックのある経済から、需要不足が問題となる経済への移行である。そしてこうした変化は、日本経済が成長の末に一定水準の豊かさを実現したことの反映でもあった。
第2次大戦後の日本経済において、需要が全般的に不足する事態は、それまでなかった。終戦直後の復興期においてはいうまでもない。50年代の後半以降に実現した高度成長の過程では、農業経済が工業経済に転換し、農村から都市への人口移動が続いた。しかも人口総数も増加した。こうした経済において、需要が不足することはありえなかった。所得水準が上昇して、それまでは高嶺の花であった自動車や家庭電化製品が購入できるようになった。都市人口が増加したので、住宅に対する需要は膨張し続けた。そして、そうした需要に応えるために生産・建設活動が拡大し、それを支えるために生産活動がさらに拡大し、設備投資が増加し続けたのである。
このような経済において、成長に対する制約は供給面にある。生産能力拡大のための資源的制約が問題となるのだ。したがって戦後日本の産業政策は、供給面に関するものが中心だった。資源をどの産業に割り当てるかが重要な意味を持った。経済官庁が強力な権限を持てたのは、その配分過程を、市場メカニズム以外の手段でコントロールしたからだ。
50年代には、外貨割り当てが行われ、通商産業省が強力な権限を振るった。高度成長以降、金融が重要になった。設備投資資金の調達は、成長する企業にとって生死を左右する重大事だったのだ。