下図に示すように、93年度から公共事業の増加に伴って建設公債の発行が増加したのは事実だ(建設公債の発行額と公共事業費は、ほぼ同額である)。しかし、公共事業の増加は、さほど大規模なものではない。国民経済計算ベースで見れば、外需(純輸出)の比重が傾向的に高まる半面で、公的資本形成の比重は低下を続けたのである。
そして95年以降、為替介入による円安政策が取られるようになると、建設公債の発行は頭打ちとなった。これ以降も財政赤字が拡大し続けたのは事実だ。
しかしそれは、図からわかるように、公共事業の増加によるというよりは、むしろ税収の減少と公共事業以外の歳出(社会保障関係費など)の増加によって、受動的に拡大したのだ。
不足する需要を内需でなく外需に求めるのは、中国が工業化して世界貿易におけるシェアを拡大しつつある状況のなかでは、適切なものではなかった。本当に必要だったのは、内需の喚起だったのだ。
それは86年の「前川レポート」が指摘したとおりである。しかし、自動車をはじめとする輸出産業が大きな影響力を持っているかぎり、日本経済を内需主導型の構造に転換することは難しい。前川レポートが現実を変えられなかったのは、当然のことだ。
内需拡大が必要といっても、政治経済学的なメカニズムを無視しては、机上の空論になってしまう。経済政策に影響を与えうるほど強い産業の意図を無視しては、経済政策は行えないのが現実である。
【関連データへのリンク】
・財務省一般会計歳入歳出予算総表
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。
(週刊東洋経済2010年7月10日号 写真:今井康一)
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