(第22回)供給面の政策から需要喚起策へ

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 しかも、旺盛な資金需要に対する資金配分は、純粋な市場メカニズムだけに従って行われたのではない。日本の金融制度には、かなりの割当的要素があった。高度成長の初期の段階で、日本銀行の一萬田尚登総裁が川崎製鉄千葉製鉄所の建設を批判した挿話は有名である。これは、都市銀行の融資に対して、日本銀行が窓口規制を通じて影響を及ぼしえたことを示している。

ケインズ経済学とは逆の世界

戦後の日本の経済学者は、輸入学問である「ケインズ経済学」を金科玉条としていた。しかし、ケインズ経済学は、成熟し需要不足が経済のネックになる1930年代のイギリス経済を対象としたものである。だから、状況が正反対である日本経済を理解できなかったのは当然のことだ。

財政についてみれば、国の一般会計は64年度まで黒字財政を続けており、そもそも新規の国債を発行していなかった。国債で財源を調達して有効需要を喚起しようというケインズ経済学とは、無縁の経済だったのだ。

65年度補正予算において戦後最初の赤字国債が発行されたことが、ケインズ経済学の実行だと解釈されることが多い。しかし、事態はまったく逆である。不況で税収が当初予算の目標値を達成できなかったため歳出を削減したのだが、それでも足りず、やむをえず国債を発行して収支尻を処理したにすぎない。需要喚起が目的でなかったことは、歳出を削減していることから明らかである。財政投融資計画においては、それまで保有していた金融債を売却して資金を調達したが、これも需要喚起策ではなく、資金不足を賄うための受動的対応にすぎなかった。

60年代までの日本経済にとって、需要喚起は必要なかった。むしろ、成長をいかにコントロールするかが経済政策の課題だったのである。

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