1980年代後半の日本で生じたバブルは、90年代になって崩壊した。これは日本の金融機関と官僚機構を変質させた。日本の権力構造は、この時期に大きく変わったのである。私は戦後日本経済の基本を作ったのは、1940年頃に作られた戦時経済体制だと考えているのだが、その基幹的な部分がこの時期に崩壊したのだ。
ところで、多くの日本人は、そうした国内の混乱に気を取られ、世界経済が大きく変化し始めたことを認識できなかった。長期的に見て重要だったのは、この時期に日本の外で起こったことである。とりわけ、中国が工業化し、それまで世界経済のなかで日本が果たしていた役割を代替するようになったことが、日本に本質的な影響を与えたのだ。前回の図で示したように、アメリカの輸入に占める中国の比重が高まり、それにほぼ見合って日本の比重が低下した。これは、この時期に生じた変化の本質を表している。
日本国内においても、中国からの輸入の圧力で、国内製造業が圧迫された。これは70~80年代において、日本の輸出でアメリカの製造業が圧迫された過程と基本的に同じものである。70~80年代にアメリカ経済が苦境に陥ったのと同じく、日本も90年代に苦境に陥った。
このような変化の結果は、鉱工業生産指数に明確に表れている(下図)。91年頃まで上昇を続けていた同指数は、その後下落に転じた。そして94年頃まで下落を続けた。それまで日本の鉱工業生産指数は、停滞することはあっても、低下することはなかった。数年間にわたって低下したのは、日本経済の戦後復興後はじめての事態だ。
バブル崩壊による経済の混乱がこれに関連していることは、否定しようがない。ただし、長期的にみれば、それまで成長を続けてきた日本経済が、ここで大きな屈折点に達したと考えるべきだろう。バブル崩壊は、その引き金を引いたにすぎない。設備投資が減ったのは、中国に押されて日本の生産が減少を始めたからである。バブル崩壊で銀行が貸し渋りをしたからではない。これは前々回に示した金利の動向をみれば明らかだが、ここで述べた鉱工業生産指数の推移からも明らかである。