日本政府による為替介入の状況は、下図に示すとおりである。1993年頃に顕著に拡大したことがわかる。介入が行われたのは、90年代初めには1ドル=120円程度であった円ドルレートが、100円を超え、さらに80円程度までの円高になったためだ(なお、介入は、ほとんど大部分が円売りドル買いである)。
介入の効果は、95年後半頃から為替レートに表れた。円高の進行はストップし、為替レートの動きは円安方向に転換した。これが98年頃まで続いて、1ドル=140円程度までの円安が実現した。
この結果、前回述べたように輸出が増加した。また、企業利益も増加した。税収も94~97年頃まで増加した。
この時期が、政策的な外需依存経済の始まりである。円安によって輸出を増加させ、企業利益の下落を食い止めることが目的だ。つまり、減少する国内需要を外需で代替し、過剰になっていた生産能力のはけ口を求めたのである。80年代終わりから2003年頃までの「失われた15年間」は、これを境に前半と後半に区別される。
個々の産業についてみれば、自動車産業など、外需依存への転換で(少なくとも一時的には)問題が解決された産業もある。しかし、日本経済全体でみれば、中国の輸出が増大して日本のシェアが低下していく傾向を食い止めることはできなかった。
生産や企業利益も、下落は止まったものの、傾向的な増加にまでは至らなかった。つまり、効果は一時的であり、長続きしないのだ。