構造変化しなかったため「変調」した
91年2月に記録した鉱工業生産指数のピーク102・2を、その後1年以上の期間にわたって凌駕したのは、2006年3月から08年10月の期間だけだ。そして10年4月の指数は96である。つまり、現在の生産水準は、91年の94%でしかない。日本の工業生産は、90年代初めにピークに達し、それ以降現在にいたるまで、本格的にはそのレベルを超えられないでいる。
日本経済の変質は、これ以外の経済指標にも表れている。第一は、物価の変化だ。テレビ、カメラなどの工業製品は、80年代に約半分になり、90年代にも半分になった。これによって、80年からの20年間で、価格がほぼ4分の1になった(なお、これらの製品は、性能が向上した場合に価格が低下したものとみなされるので、その影響もある)。半面で、家事サービスや教育などのサービスの価格は、同期間にほぼ2倍になっている。以上から明らかにわかるように、工業製品の物価下落は、新興国の工業化でもたらされたものであり、金融政策や需給ギャップでもたらされたものではない。
傾向が大きく変化した第二の指標は、企業利益だ。日本企業の利益は80年代末まで増加を続けたが、その後減少し、93年頃まで低下を続けた。現在の企業利益は、その時のレベルを回復していない。
株価において90年がピークであったことは、よく知られている。80年代後半のバブル期における株価は、日本経済の成長可能性を過大に織り込んだ水準であったため、その期待がはげ落ちて下落したのだ。ただし、株価を決めるファンダメンタルズである企業利益や生産水準も、89~90年頃がピークだったのである。
だから、この時期以降の日本経済が「失われた15年(または20年)に陥った」と言われるのは、もっともなことだ。ただし、15年が正確にどの期間なのかについては、いくつかの考えがありうる。本稿では、88年から03年頃までと考えることにしよう。03年以降は、輸出の増加で経済指数も回復したので、除いている。そして前半が88年から95年頃まで、後半が95年から03年頃までだ。前半と後半の区別は、95年頃から外需依存経済が始まったことによる。