家庭科「2」の私が「一点もの」モード服を作る理由 着るとは何か、おしゃれとは何か、買うとは何か

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それが今や、なんと手芸は完全に「趣味」かつ「実用」の領域に! いやいや人生は本当に何が起きるかわかりませんな。

なぜこんなことになったかといえば、それは一にも二にも、「買わない生活」のせいだ。

なーんて言うと、節約のため自分で作るしかないなどと殊勝なことを考えたように誤解されそうだが、まったくもってそのようなことではない。ただただ買うことがつまらないんである。もっと言えば、売っているものに満足できなくなってしまったのである。

いやーこれこそ「人生何が起きるかわかりませんな」だ。

「買わないほうがむしろキラキラ」

あれほど好きだったショッピング。買う買わないは別として、そのシーズンの服や小物をずらりと展示した店をひやかして歩くのは掛け値なく人生最大の楽しみの一つであった。

それが一気にこの変わりよう!

一体どうしたことかと胸に手を当てて考えみるに、どうも「買わないほうがむしろキラキラ」ということをリアルに体験してしまっているがゆえ、売っているものに対して非常に疑り深くなっているらしいのである。

最近ではどんなオシャレっぽい店に行っても「これは……!」と心を掴まれるインパクトのある服も小物もまったく見つけることができない。これは服が売れない時代のせいもあるかもしれませんね。

アパレル業界で働く友人によると「売れないから、売れるものしか置かない店が増えて、結局みんな同じになっちゃう」とのことであった。なるほど資本主義とはなかなか奥が深いというか、売れてるうちはいいが売れなくなるとたちまち出口を失うんだね。最適解がどこにもない。われらはそんな時代を生きているんである。

それはさておき、そんな体験を重ねるうちに、店に行って何かを物色するという行為が徒労にしか思えなくなってきた。

つまりはほぼ店に行かなくなった。と同時に、日々の「買わない生活」で身についてきた「買わなくてもなんとかなるんじゃ?」「っていうか、もしや自分で作れるんじゃ……?」という発想が、家庭科から解放されて30年近く経った今になって突然、ムクムクと頭をもたげてきたのである。

といっても、なんといっても家庭科「2」ですからね。大したことはまったくできないし、頑張ってやろうという気持ちにすらならない。それでも小さなことからコツコツと実績を積み重ねてきた結果、いやー案外私にだってできることはたくさんあるじゃないの! と、自信を深めつつある今日この頃であります。

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