坂本龍馬も驚いた将軍「徳川慶喜の剛腕」と副作用 名だたる幕末の志士たちをやきもきさせた
江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜は、徳川家と朝廷の両方の血筋を受け、その聡明さから、みなの期待を一身に背負って育った。将軍になどなりたくなかった慶喜だが(第1回)、若き将軍、家茂の後見職の座に就くことになり、政権の中枢に据えられていく(第2回)。
将軍になって大規模な幕政改革に着手
将軍を引き受けるならば、圧倒的な結果を残して、反対勢力を抑え込んでおきたい。そう考えた徳川慶喜だったが、長州征伐に失敗。求心力がむしろ低下する中で、もはや将軍を引き受けるしか、影響力を保てなくなってしまった。
だが、慶喜はいつもモードチェンジしたときに行動のギアを上げる。いざ将軍になると、人が変わったかのように辣腕を振るう。フランス公使ロッシュの助言を受けながら、大規模な幕政改革に着手し、周囲を驚かせた。
長州藩の桂小五郎をして、こう言わしめているほどである。
「実に家康の再生を見るが如し」
まるで家康の再生を見ているかのようだ――。そのリーダーシップに舌を巻いたのは、小五郎だけではない。公武合体から倒幕へと傾く公家の岩倉具視は「てごわい政敵」として認め、薩長同盟の立役者である坂本龍馬も「一筋縄ではいかぬ男」と、慶喜のことを評している。慶喜が、名だたる幕末の志士たちを、やきもきさせていたことがわかる。


















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