愚痴多いけどクール「徳川慶喜」ずば抜けた慧眼

後ろ盾が攘夷派でもなびかない聡明な開国派

徳川慶喜の素顔に迫る短期連載の第2回をお届けします(提供:桜堂/アフロ)
「名君」か「暗君」か、評価が大きく分かれるのが、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜である。慶喜の行動は真意を推しはかることが難しく、性格も一筋縄ではいかない。それが、評価を難しくする要因の1つであり、人間「徳川慶喜」の魅力といってもよいだろう。その素顔に迫る短期連載の第2回は、運命に抗おうとする慶喜の葛藤と行動についてお届けする。
<前回のあらすじ>
第9代水戸藩主で、没後に「烈公」と呼ばれるほど、荒々しい気性を持つ徳川斉昭に厳しく育てられた徳川慶喜。物心ついたころから「次期将軍に」と周囲からいつも期待されながら育ったが、本人は将軍になるつもりは毛頭なく、うんざりしていた。非常に聡明だが、性格は頑固。「強情公」とまで呼ばれた慶喜だが、時代の流れにあらがうことはできず、薩長をはじめとした倒幕勢力の矢面に立たされることになる。
前回:名君?暗君?「徳川慶喜」強情だけど聡明な魅力

何を考えているのかがさっぱりわからない

「当今の形勢について定見がない」

安政5(1858)年4月9日、海防について意見を求められても、そんな返事をしていた徳川慶喜。周囲から「あなたこそ将軍に」と期待されればされるほど、うんざりしていただけのことはあり、無気力そのものである。

このときに慶喜に手紙を出したのは、慶喜擁立に尽力した、越前国福井藩16代藩主の松平慶永(春嶽)である。大方、周囲から「慶喜様はどうお考えなのか聞いてくれ」と言われたのだろう。それくらい慶喜はキーパーソンとして注目されており、かつ、周囲からすれば、何を考えているのかがさっぱりわからなかった。

慶喜が政治的な意見らしい意見を言ったのは、井伊直弼に対して苦言を呈したことくらいだ。それも、国家運営の方針に異議を唱えたのではない。母から朝廷の血筋を受け継ぐ者として「朝廷を軽視することなかれ」と、その手続きにクレームをつけただけのことである。

いや、正確にいえば、慶喜が政治的意見を述べたことは、それ以前に一度だけあった。安政4(1857)年5月8日に母へこんな手紙を出している。

「幕政に参与することを辞退するよう父上に伝えてほしい」

うるさい父上を黙らせろ、とでも言いたげである。実際、うんざりだったのだろう。そもそも慶喜がなりたくもない将軍に担ぎ出されようとしているのも、父の斉昭が自身の影響力を高めて、攘夷を実行したいがために各方面に、働きかけているからこそ、だ。

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