親がわが子を受験戦争から撤退させられない理由 シンガポール政府の目玉改革への親たちの本音

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有名小学校の学期末試験の過去問が親の間で出回っている(写真:筆者撮影)

しかし、大半の親は、必ずしも子どもがトップであり続けることや満点を取ることを目指しているわけではないが、少なくとも落ちこぼれないでほしい、少し背伸びをして、その子なりのベストを尽くしてほしいとは思っている。そしてこうした親の思いが、競争を形作っていくのだ――。

皆が満点を取れば差がつけられない

シンガポール政府は国の根幹に、業績により報酬が決まるメリトクラシーを掲げてきた。しかし、選抜に差異化が伴い、それが競争を招くのはもちろんシンガポールだけではない。そして、政府の方針自体に、両義性や矛盾があることもあれば、政府の理念がよくても現場の教師の実態や親の認識がそろわないといった現象はどこの国でも起こりうる。

「自分としては成績や試験はさほど重要ではないと思うが、ほかの親が姿勢を変えないから」

こうした理由で教育が過熱する風潮を変えられない……。このような集合的行動が誰も望んでいない方向に向かわせているのだとしたら。全体をよい方向に公教育を考えるにはどうしたらいいのか。

シンガポール政府は「すべての学校がよい学校」と喧伝したり、多様なカリキュラムを導入しようとしたりの工夫をしているが、それでもなお、家庭が学校を選ぶ際に「ブランドスクールに行ったほうが大学進学以降に有利」「よりよい学校に行かせたほうが悪い友達からの悪影響が避けられる」といった認識から競争が生まれている。

日本の中学受験も、自由な校風の学校に入るためや、中学高校時代を部活に打ちこめるからといった理由で受験を決める親子もいるが、そのために熾烈な受験戦争を乗り越えざるをえないとしたら皮肉だ。得たい教育環境という目的と、それを得るための手段としての偏差値教育と、そのギャップに懊悩している親も少なくないのではないか。

私たちは「選べる」ことのメリットを享受しながら、実は「選ばれる」ことの代償を支払っているとも言えるのではないか。親ももう少し大局的に見て、肩の力を抜く必要はあるかもしれない。が、個々の親の選択を責めればいいという問題でもない。本来は、親の選択を方向づけてしまう構造、つまり点数によって将来に差がついてしまう社会のあり方そのものを考える必要があるのだろう。

次回は非認知能力、ポスト近代型能力、21世紀コンピテンシーなどと呼ばれる「新しい能力」をめぐる議論を取り上げる。

中野 円佳 東京大学男女共同参画室特任助教

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なかの まどか / Madoka Nakano

東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社入社。企業財務・経営、厚生労働政策等を取材。立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、2015年よりフリージャーナリスト、東京大学大学院教育学研究科博士課程(比較教育社会学)を経て、2022年より東京大学男女共同参画室特任研究員、2023年より特任助教。過去に厚生労働省「働き方の未来2035懇談会」、経済産業省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員を務めた。著書に『「育休世代」のジレンマ』『なぜ共働きも専業もしんどいのか』『教育大国シンガポール』等。

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