新聞社を退社した私がたどり着いた「貧乏長屋」 広い家では磨かれない「コミュ力・知恵・工夫」

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1日の生活に合わせ、つまりは寝たり起きたり食事をしたり仕事をしたりというシーンに合わせて、布団やちゃぶ台や仕事道具などをくるくると片付けたり広げたりすることで、この空間で家族4人暮らしなどという奇跡のような芸当が成り立っているのだ。

ダラダラとやりっぱなし、広げっぱなし、片付けは後回しというようなだらしないことではお話にならないのである。

余分なものを持たないことも必須。何しろ入れる場所がない。なので、その「持たない」レベルがハンパない。着物は衣紋かけ(現代のハンガー)で壁に吊るすのだが、確かにこれなら場所いらずとはいえ、これだとせいぜい2、3着しか所有できない。10着しか服を持たないというフランス人どころの騒ぎじゃないんである。

それでも時代劇によれば、江戸の庶民はそれなりにオシャレを楽しんでいたようでもある。いったいどうやって? オシャレといえばまずは服やら靴やらアクセサリーを買いまくることと思っている私には想像もつかない。

長屋暮らしに必要な「知恵と工夫とけじめとたしなみ」

まだある。

彼らがこれほどの極小住宅で暮らすことができたのは、風呂とトイレが共同だったからだ。風呂は銭湯へ行っていたのであろう。それはいいとして、問題はトイレだ。長屋の脇に共同便所があった。これはいったい誰が掃除していたのだろう?

もしや長屋の住民で掃除当番を決めていたのか? だが普通に考えて、当番をサボるやつだって絶対にいたはずだ。そんな揉めごとをなんとかかんとか丸く収めるコミュニケーション能力が全員に備わっていなければ、ここで日々食べて出して生きていくことはできない。

そうなのだ。知恵と工夫とけじめとたしなみがあってこそ、この小さなすっきりした暮らしが可能なのだ。それをごく普通の庶民がごく当たり前にやってのけていた時代だったのである。江戸庶民スーパーすぎる。

今の私には、とてもこのようなことはできない。

なるほど。私は俄然ファイトがわいてきた。広い家に暮らすなどむしろ簡単である。金さえあればいいのだから。だが貧乏長屋はそうはいかない。己自身を磨かねばこのような家で暮らしていくことはできない。いやもうまったく、落ち込んでいる暇などない。

暮らしを小さくするとは、みじめでもなんでもないことである。自分を鍛えなおす日々の修行なくしてはそのような野望を叶えることはできない。それは、自分の能力を高めていく大いなるチャレンジなのだ。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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