ローマ字からフォニックスへ
安河内:「イヌ(inu)と書いてみましょう」とか、「ネコ(neko)と書いてみましょう」とかいう、ローマ字教室ですよね。でも、しばらく経つと今度は、その先生が「mystery」と書くんですよ。それで先生が「これ、なんと読むでしょう」って聞くんです。そしたら、皆が元気よく「ムイステリイ」と答える。そこで先生が「これはミステリーと読むとよ」と教えてくれる。つまり、ローマ字からフォニックス(音声)にもっていく。それが週に1回あるのです。
その塾に通っていた子供たちは中学に入って教科書を開いたときに、「This is my friend.」という文を見ても、トゥヒス・イス・マイ・フレンドくらいには読めるんですよ。ほかの子はまったく読めないうちから。
でも、中学で習う英語は違うんですよね。穴埋めしたり和訳したり、三単現がどうのこうのとか、そんなのばかりで。高校になると全文和訳とか。
だから、私の場合は水野先生と違って、自助努力はまったくせずに、中学高校の6年間は無為に過ごしましたよ。
でも、相変わらず英語はかっこいいと思っていましたから、英語学科に行きたくて地元の大学を受けるんだけども英語専攻科には受からず、浪人したときに初めて、ものすごくすばらしい発音の先生に習うことができて、それで「英語ってやっぱりかっこよかばい」ってなって、それでようやく復活したんですよ。
だから、私も必ずしも小学校から英語をやらなければ、できるようにはならないとは、まったく思ってはいないですよ。ただ、やるとなったからには適正にやらなければならないと行動している、ということなんです。
水野:今の安河内先生のお話を聞いて、先生が小学生たちに楽しい思いをさせてあげたいというのが、そこから来ているんだなということがとてもよくわかりました。
安河内:だから、私は深く考えないでいいと思うです。小学校のうちは「好きになるだけ」。どういう方法でもいい。文字で書くのが好きな子もいるし、歌うことが好きな子もいるし、文法が好きな子もいる。これだと決めて、それだけに限定してやらせる必要はないですね。
皆さんね、英語と考えるから難しくなっているのではなでしょうか。これを、モンゴル語と考えてみてください。
私たちは今日から4年間、週に1時間、後半2年間は3時間、モンゴル語を勉強すると仮定するでしょ、1年目はモンゴル語で歌って、2年目はモンゴル語で踊って、さらに3年目もまた歌いましょうとなると、これ、子どもでも大人でも知的欲求は満たせないでしょう。文字だって文法だってやりたい子もいるでしょう。子どもだからって、そこはバカにしちゃいけないところだと思います。
子どもたちは歌も踊りも好きだと思います。嫌いな子も当然いるでしょうけど、全般的には嫌いじゃないと思います。でも、それだけで4年間、引っ張ることはできないでしょう。だから、前倒しをしないというのは、私はおかしいと思いますよ。
水野:前倒しをするって言っちゃえばいいのに。
安河内:そうなんですけどね。ただ、ああいう組織というのは、一度、前倒しをやらないと決めたら、撤回できないということがありますね。だからレトリックの問題ですかね。前倒しはしないけど、小学生に適した形で事前学習をするとか、言葉の言い換えで対処している部分はあります。現実に小学校で使う教科書「ハイ・フレンズ」を見ても、中学1年で使う「ニュー・ホライズン」の内容が入っていますよ。
水野:それを世の中では前倒しというんですけどね。
安河内:私も実は有識者会議でこのことを突っ込んだんですよ。すると、「これは前倒しじゃありません、形を変えてますから」と返ってくるです。「どうして前倒しではないんですか」と聞くと、「これは文法用語を使ってませんから」という。現実には学習内容の前倒しはありますね。
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